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あなたの優しさは1億円

ごきげんよう。
元ヤングケアラーのお嬢です。

今回は優しさについて話していきたいと思います。

私たち元ヤングケアラー、毒親育ち、現ヤングケアラーは並々ならない優しさを持っています。

まるで壊れて出しっぱなしの蛇口です。

それは、私たちが嫌でも(と感じる隙がないほど)優しさと許容を持たなければいけなかったからです。

自分が嫌かどうか考える隙もなく、第一優先で

今この状態をこれ以上悪くしないためにはどうするべきか?


という、本来は大人が考えるべきことを私たちは幼い頃から考えてきました。

本来は自分中心だった世界から20代30代40代と年齢を重ねるごとに経験し学び、身に付けていく優しさや我慢、相手に対する許容と言うものを

私たちは「自分中心期」を過ごすことなく幼少期から10代の間に習得しています。

言うなれば

私たちは優しさ大学を飛び級卒業しているという事です。


逆に自分中心大学は入学できませんでした。

(世間一般の、ギバーになりましょううんたらかんたら〜、優しくしましょううんたら〜、ネガティブな感情にいつまでもいてもしょうがないから前を向いてうんたら〜は、ちゃんと自分中心大学を卒業してる人向けのアドバイスです。私たち優しさ大学卒業組はそこんとこは修得済みなのでスルーで大丈夫です。)

ほしくてももらえなかった優しさ。
自分が人にあげた優しさ。
人に優しくするためにどれほど労力がいるのか。

私たちは優しさというものが、本当はどれほど価値がある物なのか知っています。

そして、

私たちは実はもう一生分の優しさを自分以外の誰かにあげ終わっているのです。



さて、ここに石があります。


大事な大事な石です。
それはあなたの宝の石です。
あなたの好きな色の石で大丈夫です。
その石は1億円の価値があります。

その石に価値があると知らない人には、ただの石です。

目の前にその石があっても
その石に価値があると知らない人には、目の前の石に1億円の価値があると気づくこともできません。

その価値がわからない人には、道に落ちている石と区別がつかないでしょう。

逆に、その石の価値を知る人は
例え道端に落ちていたとしても、その石を見つけてくれます。

想像してみてください
あなたは今その大事な大事な石をいくつか持っています。
あなたはその石を誰にあげたいでしょうか?

石の価値を知らない人にあげたいでしょうか?

それとも、その石が1億円だと知っていて、受け取ったら大事に大事にしてくれる人にあげたいでしょうか?

もちろん、全部の石を自分で大事にとっておいても大丈夫です。

無償であげたくなかったら
ちゃんと1億円を支払ってくれる人に、1億円と交換で石を渡したっていいんです。

私だったらこの大事な石は、石の価値を知っていて大切にしてくれる人にあげたいです。
1億円、もしくは同じようにその人の大事な石をくれる人と交換したいです。

この石と同じように、私たちの優しさは1億円の価値があります。

この石と同じように、優しさの価値がわからない人は、あなたの優しさに気付くことができません。

この石と同じように、あなたの優しさの価値を知っている人がいます。

この石と同じように、あなたの大切な優しさをあげる相手をあなたが選んで良いのです。

もしも、優しさをあげたくないのに渡せと言ってくる人がいるとします。

それって1億円の石に置き換えたら、強盗・強奪です。

そんなの嫌です。

私たちの優しさは慎重に渡す相手を選んでいいのです。

私たちは愛や優しさには精神力・労力が必要だと言うこと、有限であることを知っています。

もしかしたら、人とのやり取りの中で、掛け算のように増えていくこともあるかもしれません。

ですが、基本的にはどこかで補充をしなくては枯れてしまうのが愛や優しさです。

あなたの手には、今いくつ大事な石があるでしょうか?
自分のための石はあるでしょうか?

私たちヤングケアラーはその大事な石を集め、守るターンに来ているのではないでしょうか?

もしかしたら、それはいい人であること、親切であることを辞めるということかもしれません。

もしも今まであなたの優しさをテイクフリー<ご自由にどうぞ>にしていたとしたら、それを止めてみましょう。

きっと最初は罪悪感を感じるかもしれません。

でも、それは親が、あるいは大人があなたに「自分を大切にすることは悪いこと」だと感じさせているだけです。

私も脱ヤングケアラーするまで、いつも自分以外の誰かを優先することが当たり前でした。

脱ヤングケアラーの第一歩を踏み出した時、とても罪悪感を感じました。

それは私が母親から「お前みたいな誰からも必要とされないやつは死ぬしかないんだ」「お前だけ幸せになるつもりか」などと言われていたからです。

昔の優しさ100%だった頃の私は思いました。
じゃあ、誰かが幸せになる手伝いをしたら、私の順番がやってくるのかな?そうしたら私も幸せになっていいのかな?と

ですが、私が誰かを優先しても、誰かが私を優先してくれる事はありませんでした。

人はみんな自分自身のために生きている
誰かのために生きているわけではない
のです

人は他人(私)を幸せにするために生きているわけではない
ということです。

当たり前ですよね?

でも、ヤングケアラー、毒親育ちあるあるとして

自分が誰かのために心と体を削ったように
あるいは求められるまま、愛や優しさをあげたように

誰かが自分のために心と体を削ってくれる
求めるまま、愛や優しさをもらえるターンがいずれくる

と心のどこかで思っている節があるのではないでしょうか?

ですが例え、
私が誰かに優しくしても
誰かのために何かをしても

相手がお返しをくれるかどうかは相手が決めることなのです

人はみんな自分のために生きているのです。

そして

私は私のために生きている
でいいのです。

私が誰かにターンを譲り続ける限り、私のターンはやってきません。

私たちは、今までずっと自分以外の誰かにターンを譲ってきました。

そして、譲っている限り自分のターンが来ないことも、もうわかっています。

そろそろ
誰かにターンを譲ってもらうことを待つのではなく

もう「私は私のために生きている」のターンにしませんか?

もう私たちは自分で自分を優先していいのです。
自分以外を優先する時間は終わりました。

小さなことからで大丈夫です。
人を傷付けること、命に関わること、犯罪以外で
自分を優先して罪悪感を感じたら、それが正解です。
そのままやってみちゃいましょう!
何が好きですか?
何が飲みたいですか?
今何がしたいですか?
何もしなくてもいいんです。
もう頑張らなくてもいいです。
やりたいことが「何もしないこと」でもいいんです。

私は電車の普通席で妊婦さん・体調不良・怪我人以外に席を譲らない、助けないところからスタートしました。最初はすっごい罪悪感でした。

ちなみに私が骨折中に電車に乗ってた時、優先席でも席を譲ってくれる人は居ませんでした....
人間、そんなもんです。なるほど、自分を優先ってこういうことか!と勉強になりました笑

そうやって少しずつ自分を優先していくと
どんどん自分の気持ちに素直に行動できるようになってきます。

私の場合、最大の自分優先は「親と縁を切る」ことでした。
これをしてからとても心が軽く、楽に生きられるようになったのです。

一日自分に一善
から始めてみてください

みなさまそれぞれが心地よく生きやす人生になりますように。
どうぞご自愛くださいね。

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