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矛盾屋。
短大の時、今は亡きドイツ語の先生が、子供3人生まれたら学費の補助みたいのが出るだか御祝が貰えると言っていた。
短大の会報誌みたいなやつに、たまに結婚報告が載っていた。(今は分からない。)
だけど、学長、副学長が立て続けに亡くなってからは、あまりパッとしなくなってしまった感じがある。
学長はもの好きで、凄い先生を集めていたらしく、学科も毎年新設していたんだけどね…。
特に副学長は体育の先生(たまに。通常は、別の先生3人くらいが、担当。)だったので、こんな思い出がある。
笑顔、笑顔と英語でよく言っていたが、ある日電車が遅れて月曜1時限の体育に遅れてくる学生が沢山いた。
この日は副学長が来ていて、遅れてきた学生を始め、みんなにキレた。
遅延するのを視野に入れて、早く電車に乗りなさい、と。
そしたら、私の電車は他の線より本数少ないのに、早く来すぎるし、ドトールすらやってるかわからんから、授業始まるまでキツイと思った。
第一、学校行事で帰りが22時過ぎた翌日だったら、疲れ果てて朝が辛い。
確かに早めに家を出る事は、良い事だけどねぇ…。
もう一つ。
副学長の娘さんは、今の私よりも5つ若くして、婦人科系の病気で亡くなったらしい。
だから、健康に気をつけなさいと言っていた。
しかし、スカート強制の校則で、足が悪いとかの診断書みたいな届けがないと、ズボンを着用出来なかった。
卒業してからは、ゆるくなったと先生に聞いたけど、冷えには気をつけろと私は母に言われてきたので、そこは矛盾してる。
最後に。
入学時。大学出ても、同じ系列の専門学校に入学する学生がいるらしく、ちゃんと就職しないと駄目だとキレていた。
今思えば、社会に出てみて勉強が必要だと思って進学する人もいるから、そうならまだ良いのかもしれない。
…が、やはりどうするかは、その人の自由だと思った。
私も編入したかったから。
それなら、系列の学校作るなよ!と、矛盾してしまう。
うちの父も矛盾屋だったが、
上がいた。
が、私は心配して言ってるんだよ、と副学長は言ってた。
私も心配して親にガミガミ言っちゃう。
親にガミガミ言われていた逆だと感じるようになったから、少しわかるかもしれない。
親になったら、もっと分かるのかは、分からない。
姪→ねだり屋
妹→うちに来たがり屋
父→ブチ切れ屋
母→忘れ屋
私→不安屋