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【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』7

「アルバイトなどはしていましたか?」
「はい。接客業でした。人と関わるのが好きだったので。」

 えっ。なにが問題なんだろう。
 という顔をしてみせた。
 接客業だってピンからキリまである。飲食店のホールかも知れないし、風俗嬢かも知れない。
  事実、あたしは性風俗店で四年近くもアルバイトしていた。しかし、それを校長の前で正直に話すほど、あたしは清くも正しくも、バカでもなかった。

 ただ、ここで校長から「具体的に何のアルバイトをしていたか」と聞かれてしまうと、もう逃げ場がない。
「あの、どうして……。」
 聞かれてしまう前に、こちらで話を展開した。
「いや、実はね。」
 校長はあたしから目線を外した。

 違和感が走った。
 あたしが元風俗嬢であることについて、もし、校長に確信があるのであれば。
 あたしがちょっとでも表情を変えるところを見逃さないため、一瞬も視線を外さないんじゃないだろうか。

 そう考えると、校長は確信や証拠を持っていないことになる。そうであってほしい。あたしは祈るような気持ちで、自分の考えにすがった。
 校長は続けた。
「小島先生が、性風俗店に勤務していたんじゃないかという話があって。」

「せーふーぞくてん、ですか?」
 そんな種類の店、聞いたことがない。
 発音もよくわからない、という、そういう演技をした。同時に、自分がそんな演技をしたことに自分で驚いていた。
 狡猾。
 いやな女だ。
 いつの間に、あたしはこんなことができるようになったんだろう。風俗店のベッドの上で、自分をも偽っている時間が長すぎたんだろうか。
 いや、このまま行こう。あたしが優等生のままだったら、性風俗店なんて単語はこの年齢まで聞いたことがなくてもおかしくはない。
「どういうお店なんですか? 中華料理店ですか?」
 あたしは目を丸くして聞いた。

「いや、それはね。」校長は言葉を濁しながら言った。「女性が、男性に性的なサービスをするお店なんだけどね。」
 あたしは校長を見ながら、表情を動かさずに丸い目のまま何度もまばたきをしてみせた。「ピンと来ていません」という演技である。
 さらに説明するかと思ったが、校長はそれ以上の説明を避けた。
「覚えがない、ということですね?」
「さあ……。」
 あたしもはっきり答えなかった。

 まさか、そうだと認めるわけがない。しかし、違うと言ったら嘘になる。
 いや、すっとぼけている時点で、嘘をついているのと変わりはしない。
 それでも、はっきり嘘をつくのは嫌だった。
 それは、狡猾なあたしにちょっとだけ残っていた良心だった。

 しかし、校長の次の言葉には、あたしも身を固くするしかなかった。
「県庁まで、行ってきてもらってもいいですか? 教職員課へ。」

 県庁。
 全県の教職員の採用は、県庁にある教職員課というところが握っている。
 教職員課は、教員採用試験を取り仕切るところだ。つまり、あたしの採用を決めたところでもある。

 いや。正確にいえば、あたしはまだ採用されていない。
 試用期間だ。
 教員というのは、一般的に一年間の条件付採用期間を経たあとで、正式に採用される。

 試用期間に教職員課へ行けというのだ。
 これって、あたし、処刑されに行くのでは?

 試用を切られる。辞めさせられる。
 県庁があたしを呼ぶのだ。確信があって呼ぶのに違いない。
 校長のようにごまかしがきくとは思えない。

 校長室から出ると、職員用の昇降口の向こうで雨が降り出しているのが見えた。
 それは大粒の雨で、桜の枝に残されたわずかな花びらを、残らず叩き落としている最中だった。

 あたしは、安藤を探した。
 思いつく味方が、安藤しかいなかったから。
 あたしの指導教官で、風俗嬢のあたしと何度も身体を重ねてきた客。

 教頭席の近くで、安藤を見つけた。
 彼は年休の届け出を書こうとしているところだった。教頭はまだ校長室から戻ってきていない。部屋には誰もいなかった。

「裕二さん。」

 3月28日に再会して、安藤は客ではなく、指導教官になった。以来、あたしは彼のことを安藤先生と呼んできた。
 でも、そんな上っ面なものはこの場では剥がれてしまっていた。あたしはただ、何度も性交したことのある男に味方になってほしくて、助けを求めているだけだったから。だから、きっとそのころの呼びかたをしたのだ。

 あたしが校長室で起きたできごとを洗いざらい喋ると、安藤裕二は無言で年休の届け出を書き上げた。
「俺は今から休みを取った。教職員課ね。一緒に行こう。」
 有り難かった。一人で県庁なんかに行ったら、心細くて、それだけで泣きそうである。
「アキちゃん、客の名刺を集めてたでしょ。あれ、どこにある?」
 裕二さんはあたしのことも、あたしが捨てたはずの源氏名で呼んだ。

 奇妙な感覚だった。小島先生と呼ばれるよりも、アキと呼ばれるほうが、自分が強い存在であるような気がした。


つづく

タイトル画像全景
表情になんだかちょっと疲れが見えるところがいい。

次話

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