星が降る【シロクマ文芸部】
星が降る丘から、銀河鉄道に乗った。
銀河鉄道の終着駅は南十字の先、石炭袋だ。そこに着く前に、必ず彼女を銀河鉄道から降ろす。必ず、二人で戻ってくる。そう誓った。
一番うしろの車両から乗車した。先頭車両へ向かいながら、彼女を探す。
重厚な木製の座席は、短い毛の生えた緑色のシートで覆われている。古いが、よく手入れされていて光沢がある。こうして現役で走りながらも、車内にはアンティークが放つのに似た落ち着いた雰囲気が漂っていて、列車がレールを踏む音だけが単調に響いている。そして、窓の外には眩暈がするほど多くの星が輝いているのだった。
無数の椅子が並ぶ中、彼女は14号車に一人きり、4人席にぼうっと座っていた。
僕が近づくと、目を上げた。そうしてその目を丸くした。
「どうして来たの。」
「そんなの決まってる。君を連れて銀河鉄道を降りるためだ。行っちゃだめだ。戻ろう。」
僕の言葉を聞いて、彼女はひどく哀しく微笑んだ。そうして、「座って」と僕を自分の前の席に誘った。
南十字に到着するまで、まだまだ時間がある。僕は彼女の前に腰を下ろした。僕だって、無理なことはしたくない。彼女に納得してもらって、自分の足で銀河鉄道を降りてくれればそれが一番いい。
「悪かった。僕は仕事ばかりしていて、家のことも子供たちのことも、全部君に任せっきりだった。
でも、君がいてくれたから僕は仕事ができた。君がいなくなったら、僕はすごく困る。子供たちも、ママがいなくなってしまう。」
謝るべきことは謝らないといけない。僕は頭を下げた。
「そんなこと。」彼女は言った。「気にしてない。あなたの仕事が大変なのはわかっているつもりだし、家事をするのも、ママでいるのも、そんなに嫌じゃないの。子供たちから離れるのは、あたしも辛い。」
「それなら、戻ろう。戻ってきてくれ。頼むよ。」
「戻りたくても、病気が……。」彼女はみるみる涙を溜めて声を震わせた。「銀河鉄道が、あたしを連れていく。あたしは降りられない。」
「銀河鉄道が……?」
彼女は戻ることに納得している。問題は銀河鉄道だという。
どうすればいい? 鉄道から降りるには……。
「切符を拝見。」
僕はどきりとした。車両には彼女しかいないと思っていたし、考えに集中しすぎて車掌の接近に気づかなかった。
車掌はきっちりと制服を着こなした背の高い男だったが、帽子を目深に被っているせいだろうか、顔全体が暗く、表情は伺えない。
もちろん、僕が切符などを持っているはずがない。僕はポケットの中を探すふりをしてこの場をしのぐ方法を考えた。その間、彼女が自分の切符をポケットから出そうとしているのが見えた。
これだ。切符が無ければどうなる?
僕は彼女の手を押し留めた。そうして、車掌に向かって声高に宣言した。
「僕たちは切符なんか持っていない。二人とも、無賃乗車だ!」
「なんですと。」
表情は見えなかったが、車掌が驚き、腹を立てたのはわかった。
「そんなはずはありません。乗客名簿があるのです。そちらの女性は間違いなくお客様です。ですが、あなたは名簿に名前がないはず。」
「彼女の名前があるはずがない。その、乗客名簿とやらを見せてもらおう。」
車掌は鼻から強く息を吐いた。そうして懐から手帳のようなものを取り出して、ページをめくり、僕にそれを突きつけた。
何が書かれていようと、知ったことではなかった。
僕は何食わぬ顔で車掌から手帳を受け取ると、素早く窓を開け、銀河の彼方へ乗客名簿を投げ捨てた。
「ああ! なんということを!」
車掌は動揺した口調で窓の外を眺めたが、名簿は果たしてどこへ行ったものだか見当もつかない。
車掌はしばらく虚空をみつめていたが、僕のほうをゆっくりと振り返った。相変わらず、表情はよくわからない。しかし、怒っているのはわかる。
「あなた。許しませんよ。この車掌が、下車を命じます。
ただちに降りてください!」
車掌が強く言うと、僕の視界がひどく歪んだ。
その一瞬で僕がやったことは、彼女の手を握ること。
目が回るように視界が回り、そのうち上も下もわからなくなった。その中で、僕は彼女の手の暖かさ、柔らかさだけを決して離さぬように、それだけを考えていた。
目が覚めたのは、病室だった。
そうだった。僕の妻は大きな手術を受けたんだった。
あとは彼女の生きようとする力だけが頼りで、目が覚めるか、そうでないか、それを待つだけだった。
僕は昨夜、ベッドに眠り続ける彼女の横にいた。
彼女が目を覚ますまで、いつまでも起きているつもりだった。それでも、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
僕は、僕が彼女の手をしっかと握っていることに気がついた。
彼女の顔を見た。
彼女は薄く目を開けるところだった。そして、その目尻から一筋の涙がすうっと流れるところだった。
完
銀河鉄道から彼女を取り戻す方法は、その手を決して離さないこと。
「毎週ショートショートnote」では彼女を失う話を書いたので、こちらでは取り返してみた。