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「価値観」の多様性/多義性

「価値観の多様性」について書くつもりが、「価値観」という言葉の多義性のせいで立ち止まってしまいました。
 
 
みなさんは「価値観」という言葉をどういう意味で使いますか?どのように理解していますか?
 
多様性そのものに価値はない」という記事を3本書いたので、いずれは「価値観の多様性」についても書こうと考えていました。そしたら「価値観」という言葉がかなりあいまいに使われていることに気づきました。
 
そして、思い出したことがあります。数か月前、30代の日本人男性知人と電話で話す機会があったのですが・・・
 
   知人「・・・でも、ぼくの価値観からしたら、〇〇〇のために△△△
   なんて、ありえないんで・・・」
   シスカ「えっ?こんなことに価値観が関係する?」
   知人「ええ。そんなことに価値はないって話なんで」
   シスカ「はぁ・・・そう・・・」
 
話は、旅行先での食事についてでした。わたしは、そういう意味で「価値観」って使う?と不思議に思いました。
 
noteの記事でも意味がよくわからない「価値観」をいくつか見かけました。ある方は「価値観を事実のように話すのはよくない」とか「価値観と事実を区別するのは大事だ」とか お書きになっていました。
 
??? わたしの理解では、「価値観」は「事実」とは完全に別のカテゴリーに属する概念で、使用領域が完全に異なります。区別するのは当然です。「価値観」を「事実のように話す」・・・一体どのようにするんだろう?と不思議でした。
 
一般的に、たとえば、ロジカル思考や批判的考察の方法論において「事実と区別するべき」と言われるのは主観的な意見、印象、感情などです。「価値観」ではありません。この方に、コメント欄で質問したのですが、何日たってもお返事いただけませんでした。
 
また別の方は、日本からヨーロッパの某国に移住したことで「価値観は大いに広がって」いるとお書きになっていました。(価値観とは、広がるものなのか?これはどのように理解したらいいのか?)と思い、またコメント欄で質問しました。
 
わたしの言語感覚では、移住のような新しい経験とともに何かが大いに広がるとすれば、それは視野、展望(ビジョン)、可能性、将来への期待などであって、「価値観」ではないからです。
 
この方は、わたしのコメントに「スキ」してくださったのですが、質問には答えていただけませんでした。
 
やはり、上のふたつの例は語彙選択エラーだったのでしょうか?それをわたしが不躾にも指摘したことになり、そのためお返事がいただけなかったのでしょうか?
 
一方、単純に語彙選択エラーとしてかたづけられない文章もありました。ある記事に、「価値観」を含む「驚くべき」文章を見つけました。あくまで、わたしにとって「驚くべき」ことでしたが。でも、前後文を読むと、著者のの言わんとしていることがボンヤリわかる気がするのです。ただ、わたしの「価値観」の定義が邪魔をして、すっきりと理解できません。
 
この記事は、国際結婚のプラス面、マイナス面の解説でした。そのプラス面のひとつが、「価値観が違うことが前提なので・・・私が変なことをしても、相手が変なことをしても寛容に受け入れる」なのです。
 
えっ?!
 
わたしも、いわゆる「国際結婚」といわれるものをしていますが、婚姻関係が成立しているのは、共通の価値観があるからこそ。価値観を共有していない人と、どうやって一生をともにするのか? 価値観が違う人とは、結婚はおろか、同じ町内に住むことさえできないこともありますが?
 
価値観に関わることで「変なこと」というのは、わたしにとっては基本的には、「道徳・倫理上の問題となる言動」という意味です。不倫とか、嘘をつくとか、犯罪行為に手を染めるとか。
 
それを寛容に受け入れる?かなり深刻な状況が想像されます。でも、文脈を読むと、単に日常的な習慣、ちょっとした所作、コミュニケーションの取り方の違いについてお書きになっているかのようです。この記事のクリエイターさんにもコメント欄で質問しました。
 
お返事いただけないかも・・・でも、疑問を解決したい!お返事を待っている間にChat GPTに相談することにしました。状況を説明し、プロンプトを与え、まず記事のディスコース分析をしてもらい、わたしの疑問を伝えました。(わたしとChatGPTの「会話」は英語です。以下はその大意の訳。)
 
   シスカ「・・・『相手が変なことをしても、受け入れる』という部分に戸惑ってます。わたしの最初の反応は、『えっ?つまり、この人は夫が道徳的に問題のあることをしても平気ってこと?』で…(以下略)」
 
   Chat「その反応は、『values(価値観)』を道徳的、哲学的な信条という従来の意味に解釈すれば当然です。けれど、テクスト全体からは、著者は『価値観(values)』という言葉を、日常的な好みとか行動まで含めて、もっと広い意味で用いているようです・・・」
 
   シスカ「そうかもね。これは、わたしが英語のvaluesの意味で日本語の『価値観』を解釈していたせいかな?英語圏ではvaluesと言ったら、普通、道徳的、倫理的なことで、日常的な習慣は指さないでしょ?」
 
   Chat「英語圏諸国では、典型的にはvaluesは基本的な信念や原則のことで、人生において何が正しいか、何が重要か、どう生きるべきかを決める指針となるもので、誠実さ、自由、他人への尊重、家族の絆などの道徳的・倫理的な信条のことと理解されます。価値観は人の考え方や行動、意思決定に大きく影響し、生涯、一貫して守りたいと感じる信念です。
   一方、さらに広い意味でこの言葉を解釈する余地もあり、その場合、個人的な優先事項や生活様式の選択などを指すことも可能です。けれど、これはcultural values (文化的価値観)についての話し合いのような文脈に特定されるかもしれません。英語圏の日常的な語法では、そのようなことは valuesよりはpreferences, habits, customs(好み、習癖、習慣)として表現されるのが一般的なので、それをvalues と表現するなら、明確化が必要となるでしょう。・・・」
 
・・・ということで、わたしが日本語の「価値観」に、英語のvalues(フランス語のvaleursも同じ)の標準的な意味(おもに上記のボールド部分)をそのまま当てはめていたことが原因でした。(わたしは在仏25年ですが、英語生活はそれよりずっと長いです。)
 
数時間後にこの方からお返事をいただきました。うれしい!
 
この方の「価値観」の定義は、「自分の行動の全てを決める指針」で、子育てや、食べ物の好み、日常的な習慣まで「全て価値観」だそうです。わたしの知人の男性と同じような「価値観」の定義で、ChatGPTの分析・推測は正しかったようです。なるほど、人によっては「価値観」には何もかも含まれる・・・。
 
またもうひとり、noteの記事で、これまた国際結婚に関連して、「価値観のすれ違い」「価値観が合わない」「相手の価値観を理解」といったことを書いていらっしゃる方を見つけました。なんとなく、上記の方とオーバーラップする意味でお使いのようです。、コメント欄で質問しました。
 
この方は、なんと、質問してほんの数十秒内でお返事をくださいました。すごい!うれしい!
 
しかも、「価値観という言葉は定義が人によって異なるため、定義付けをしないとミスリードする可能性がありますよね!」と打てば響くような言葉。こちらの思いをしっかり汲んでくださっています。さらには、ただ定義するのではなく、日常的なものごとから、人生における複雑な問題にいたるまで「価値観」がどのように作用するのか具体的な例で答えてくださり、とてもわかりやすく、理解の助けになりました。とかげ大臣閣下、ありがとうございます!
 
この時点で、今さらながらネット上の日本語辞典を調べてみると・・・なるほど、「何に価値があるかを決める考え方」「人生観も含む」「ものごとの判断基準」など、いろいろあります。そして、わたしの「古くからの友的定義」とでもいうべき「善悪、好ましいこと、そうでないことの判断のもととなるもの」もありました。
 
これで少し自分の日本語に自信を取り戻して、ChatGPTの説明も取り入れて、「価値観」の本来の(伝統的な)意味を定義してみました。
 
価値観とは、基本的な信念や原則のことで、人生において何が正しいか、何が重要か、どう生きるべきかを決める指針となり、誠実さ、自由、他人への尊重、家族の絆などの道徳的・倫理的な信条が含まれる。価値観は人の考え方や行動、意思決定に大きく影響し、生涯、一貫して守りたいと感じる信念のことである。
 
「価値観」の意味にこれだけの多様性/多義性があるので、定義せずに「価値観の多様性」について書くことはできないと深く感じ入ったのでした。
 
わたし自身は、「価値観」という言葉を、広範な意味も意識しつつ、おもに伝統的な意味で使い続けると思います。ただし、あいまいさ、誤解を避ける工夫はします。たとえば、「道徳的な価値観」と書くなど。さて、社会における「価値観の多様性」の記事はいつ書こうかな・・・。

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