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一夫多妻制はなぜダメなのか (3)

一夫多妻制は社会全体にとってもダメダメな制度です。社会が自由で民主主義的であり、前進し続ける、あるいは少なくとも後退しないためには、婚姻制度はモノガミー(一対一婚)以外に考えられません。
 
 
社会レベルの悪影響
 
「一夫多妻制はなぜダメなのか」の(1)(2)で、この制度が女性と子どもだけでなく、男性にとってもダメだとわたしが考える理由を書きました。個人レベルでの悪影響は、そのまま社会全体への悪影響につながります。
 
社会レベルの悪影響に関して、一夫多妻制が合法な国・社会で実際に何が起きているかは広く報告されています。学術的研究では、文化人類学者Joseph Henrichによる包括的な研究が有名です。最近では、Daniel Seligsonが一夫多妻制による女性の商品化(下記)や貧困との関連性について発表しています。
 
一夫多妻制の社会全体への悪影響には、すでに書いてきたことと重複しますが、まとめると以下のようになります。
 
〇男女平等と機会平等の原則が損なわれる、あるいは実現されない
〇男性間、女性間の競争や嫉妬心に端を発する不平等感、不信感から社会全体の連帯感が損なわれる
〇犯罪の増加、経済効率の低下、貧困の悪化が起きる
〇子どもの虐待やネグレクトが増加する
〇女性の社会進出が進まない
〇人々の幸福感や身体的・精神的な健康が損なわれる
 
(1)と(2)では、これまでわたしが本や各種メディアを通して学びながら形成してきた考えを書きました。次に、国際機関や専門家の調査・報告でわかっている、世界で一夫多妻制が実践されている国・社会で実際に起きていることをまとめます。
 
一夫多妻制 = 不幸な社会
 
まず、財力・権力のある社会的地位を確立した男性(ほとんどの場合、あまり若くない男性)が結婚市場に居残り、複数の妻を得るため、結婚できる年齢層の男女人口のバランスが崩れます(未婚女性の不足)。そのため、男性が結婚相手としてどんどん若い女性(女子)に目を向けるようになります。
 
男性はある程度の年齢になって社会・経済的に安定しないとなかなか結婚できません。そのため、夫婦間の年齢差がますます開く傾向があります。夫より極端に若い妻という組み合わせでは、男女間のパワーバランスが崩れやすく、妻が虐待されやすくなります。
 
結婚できない若い男性が多いと、誘拐やレイプを含む犯罪、暴力が増えます。犯罪組織、テロ組織に入る男性も少なくありません。若い男性の地方から都会へ、都会から他国への移住もあり、地方の脆弱化が進みます。
 
若い男性が故郷を離れるのは、父親の妻たちが争い合う環境に耐えられず家出するというのもあります。(わたしの友人がアフリカ某国から移民してきた同僚にきいた話と一致。妻たちが仲良しというのは、例外的らしい。)
 
女性の商品化
 
治安が悪いのに加え、未婚女子が「貴重」になるので、男性は自分の娘や姉妹を厳しく監視し、服装や行動を制限し、支配して自由を奪います。女子に「希少価値」が生まれるのですが、人間としての価値が認識されているのではありません。これは女性の「商品化」です。たとえば、妻を求める男性が女性を紹介してもらう見返りに身内の女子を「提供」するとか、自分の娘を金銭と「交換」するといった人身売買めいたことが起きます。
 
女子の行動や自由が制限され、結婚年齢が低くなる(児童婚もあり)ということは、女子の教育や職業訓練の機会が奪われがちで、男女の学歴格差は狭まらず、女性の地位は低いままで、社会進出も極めて困難になります。
 
女性の権利も自由も制限され、自立する機会も少ないので、結婚せずに女性が生きていくのはほぼ不可能です。また、女性には、結婚に関する自由(結婚するかしないか、相手を自分で選べるか、「紹介」される男性を断れるかなど)はないも当然です。
 
これは一夫多妻制のせいでこうなっていると言えると同時に、女性がこういう状態に閉じ込められているから一夫多妻制が可能であり、維持されているとも言えます。一夫多妻制と女性の地位や自由は、「ニワトリが先か、卵が先か」の関係にあると(1)で書いたのはこういうわけです。
 
一夫多妻制が実践されている場所といえば、おもにアフリカの発展途上国などが想起されます。だから、「女性のこのような状況は、一夫多妻制だけが原因ではない」と思うかもしれません。けれど、先進国でも(たとえば、アメリカやカナダのモルモン教徒の一部による非合法な実践)同じ悪影響が見られるそうです。
 
一夫多妻制が定着している地域には、少子化問題はありません。けれど、この制度は不幸な社会を永続化します。自由で民主的な社会において一夫多妻制はありえません。
 
一夫多妻制とフランス
 
ところで、わたしは婚姻制度を専門とする研究者でもないのに、このテーマでパート3まで書いて「一夫多妻制なんてダメ!」としつこく主張するほど、なぜこだわっているのでしょうか?それは、フランスに住んでいると、一夫多妻制は結構身近な問題だからです。
 
まず、外国人としてフランスに住んでいると、結婚する際、フランス人の配偶者として滞在許可を取得・更新する際、事実上の永住権を得る際、重婚をしていないことを繰り返し、繰り返し証明、宣誓しなければなりません。なぜここまで、しつこく重婚を取り締まるの?と初めは感じました。
 
フランスでは一夫多妻制を含む重婚は違法ですが、一夫多妻制がときどき話題になります。それには、フランス独特の事情があります。たとえば・・・

〇一夫多妻制が合法な国・社会からの移民やその子孫や、一夫多妻制を認める宗教的イデオロギーの信奉者がかなりの数いて、この中には法律を無視して複数の妻をもつ男性がいる(法律婚はひとりの妻とだけ)
その中に、
〇フランスに住む妻がいるのに、他国で結婚した妻(+子ども)をフランスに「家族」として呼び寄せようとする人がいる
〇事実上の妻(たち)にシングルマザーとして生活保護の助成金を不正に受給*させる人がいる……など
(*助成金を夫が取り上げる場合も。)
 
こういうわけで、テレビのドキュメンタリーやニュース雑誌の記事で取り上げられることも少なくないのです。そこから関心をもって、専門家の書いた論文も含めいろいろ読んだり、考えたりしてきました。
 
「多様性の時代」なのに?
 
それなのに、最近になって、少子化問題のせいもあり「一夫多妻制を採用したら?」なんて発言が日本人のあいだから聞こえてきます。トンデモナイ!と筆をとらずには・・・というか、キーボードに向かわずにはいられませんでした。
 
また、「今や多様性・ダイバーシティの時代で、同性婚の合法化が議論されているんだから、一夫多妻制も検討するべきだろう」なんて意見もあります。けれど、同性婚と一夫多妻制の合法化をこのように同一視し、同次元で語るのは間違っています。

わたしはnoteでは「多様性そのものに価値はない」というテーマでも書いています。

多様性を優先すると、もっと本質的な重要な何かが弱まる、あるいはすっかり損なわれるリスクがあります。多様性そのものには絶対的な、一義的な価値はないのです。
・・・・・・
多様性は、多様性よりも高位の何らかの価値が実現した結果、生じるものであるべきです。・・・多様性のための多様性は無意味です。

「多様性そのものに価値はない」(1)


多様性を優先すると、「何でもアリ」につながります。多様性をどうこう言う前に、何らかの基本理念(多様性より高位の価値)が確立していなければ、まさに、何でもアリです。食生活の多様性を尊重してベジタリアンやビーガンを受け入れても、カニバリズム(人肉嗜食)は受け入れませんよね?
 
結婚や家族の形態の多様性のために一夫多妻制を検討するのは愚かなことです。男女同権が損なわれ、誰かの人権や自由や人間としての尊厳が奪われるリスクが極めて高いのですから。
 
(一方、同性婚の合法化への動きには、同性カップルにも結婚する可能性を与え、権利と機会の平等を保障するという高位の価値が目標としてあります。多様性そのものが理由でも目標でもありません。ですから、議論を続けるべきです。わたしは同性婚に賛成ですが、現時点で日本で合法化するのは時期尚早だと思っています。)
 
日本の少子化問題には、もっと別の対策が必要です。誰もが不幸になる道を選ばないでください。 
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