「猫どの」
鬼平犯科帳の二代目 中村 吉右衛門さん版に、「猫どの」と呼ばれる同心が度々登場します。村松忠之進は料理への造詣が深く、味にうるさい同心で、火付盗賊改方の役宅の料理番として描かれ、料理の本分は先取りする旬の高級食材を追求するのではなく、日常的で極々庶民的で身近な食べ物に特別のこだわりを持ち、「猫どの」の料理の腕前は玄人はだしで、役宅で同心らとの食をめぐるやり取りは実に面白く、美食家の平蔵すらうならせるほどである。「猫どの」は穏やかな性格で普段はもの分かりがいい人物だが、食の事になると妥協を許さず、平蔵や木村忠吾と丁々発止に激しく言い合う場面も秀逸と感ず。
鬼平犯科帳により描かれる世界観のうち、中村吉右衛門版の特徴として押さえておくべきなのは、やはり食べ物の描写についてであろう。一つひとつの料理の素材、食事を摂る面々の笑顔が美しく、食事を楽しく描写すると言う一点において作り手側の「こだわり」を感じる。
阿部孤柳氏※1を料理指導に仰いで、原作に出てくる料理を再現しようと試みて、それを映像に取り込む手法は、現代の鬼平の制作現場にも受け継がれている。「鬼平」をテレビ時代劇化したと言われている市川久夫氏※2は、「食べ物というのは池波作品の魅力でもあるから本格的にやろう」と考え、「それは季節感を出すことでもあるんです。 まあ、 村松同心みたいに料理に詳しい人も出して、 時々解説させたり。」と (市川「「鬼平」のできるまで」) での市川の言葉は、くしくも池波正太郎自身が料理を話の途中で打ち出すのは「季節感を出すため」と言っていたこととも重なります。この食や料理の場面で度々で出てくる同心・松村忠之進(俳優:沼田爆)という吉右衛門版オリジナルキャラクターは重要と考えたのである。
「猫どの」は、卵かけご飯について、「卵の食い方は、あっつあっつの飯にそのままかけて、醤油をちょいとたらす。『生卵、醤油の雲に黄味の月』。まさにこれは一種の絵だ。うん、これしかない!」(「山吹屋お勝」) との台詞に代表されるように軽妙な語り口で飄々と薀蓄を垂れながら料理談義をする。
それに合いの手を入れて花を咲かす同心の忠吾や、「猫どの」の話を聞いて辛抱たまらんと涎を垂らす鬼の平蔵…と、ハードボイルドな世界観にユーモアと爽やかさを与えてくれる奥行ともなっている。
当然、食べ物を魅力的に見せるには料理が本格的であること、それを語る台詞も重要だが、それをいかにして撮るかという点も大切だ。
カメラマンの江原祥二氏※3は言う。「ちょっとした湯気とか、そういう細やかなところが端々にありつつ、役者さんの芝居がその向こう側や手前にあったりするという。そういう画面が面白いちゃうんかなと思います。まあ、そういうところを見る側には気にさせないように撮らないとダメなんですけどね。それでも苦心はしています。」と証言。
食べ物がドラマと人物描写の一部として映えるように撮る。それは原作で池波正太郎が意識していた「登場人物の食事シーンを書くと、その人間の性格も知らず知らず表現することにもなってくる」というころが、吉右衛門版になってようやく実現できるようになった。と証言している。
「猫どの」、原作には松村忠之進という与力が一話だけで登場し、その後は一度も登場しないのだが、テ鬼平犯科帳の「歌舞伎役者」二代目 中村 吉右衛門さん版では同心として、料理が趣味で、張り込みや宿直の同心達に弁当夕食・夜食を作るとう言う姿が度々描かれています。
原作をテレビドラマ化にあたり脚本家の野上龍雄によって加えられた設定とも言われるが定かではない。
中村吉右衛門版の鬼平犯科帳では沼田瀑さんが「猫どの」を演じ、食いしん坊で色好みの木村忠吾(尾美としのり)との会話が度々物語の中で実に愉快に描かれています。
忠吾が今流行の「天ぷら蕎麦」を褒め称えると、猫どのは「蕎麦はもりに限る」と主張します。しかも、その理由を講釈し始める始末。それでは、と蕎麦屋へ出かけると、今度は忠吾の蕎麦の食べ方に注文をつけます。「そんなにどっぷりとそばつゆをつけるものではない。蕎麦をちょっとつけて啜りこむのが通だ!」・・・と「猫どの」はのたまわく。
出典:引用①
猫どのは料理の腕ばかりでは無く、身投げをしようとした女に温かなものを食べさせて落ち着かせ、自殺を思いとどまらせた事もあり、料理屋に化けて盗賊を安心させ、情報を引き出すなど火付盗賊改方本来の役務も忠実にこなす姿も描かれています。
なぜ「猫どの」と呼ばれるようになったのかは諸説あり、池波正太郎が猫を飼っていたからという説の他にもう一つ説があり、それは、俳優の金子信雄さんは料理研究家としても有名で料理番組にも出演していて、奥さんの丹阿彌谷津子ともども美食家で、東京都杉並区荻窪にフランス料理店「牡丹亭」を開業していました。その牡丹亭のことを池波正太郎が文章で紹介していたりしてだいぶ親交が深かったと思われます。この金子(かねこ)信雄は「ネコさん」という愛称で呼ばれていました。このため、は金子信雄のことを意識して時代劇風に「さん」を「どの」に変えて作られたキャラクターではないかという説があります。
「食」やお料理に並々ならない想いがある池波正太郎さんならではの逸話なのですが、真実の程は確認のしようも無く、そうと信じている方が良い気が致します。
鬼平犯科帳に出てくる「食」は、他の時代劇と一線を画し江戸情緒や季節感をあらわす重要な要素であり、事件の他、与力や探索型、罪人という登場人物を生き生きと描き、その人物像が浮かび上がる重要な小道具として都度登場し、その食やお料理の語り部として「猫どの」は事の外重要な役柄と言っても良いでしょう。
令和6年10月7日【訃報】
時代劇から現代劇まで幅広いジャンルで名脇役として活躍した俳優の沼田爆(ぬまた・ばく、本名知治=ともはる)さんが都内の自宅で死去した。84歳。東京都出身。葬儀は9月上旬に近親者で行った。所属事務所によると、8月末に家族から連絡がつかないと相談があり確認したところ自宅で亡くなっていた。沼田さんは1人暮らしで、発見時、死後1週間ほど経過していたという。フジテレビ時代劇「鬼平犯科帳」シリーズなど数多くの作品に出演。今年1月期に放送されたTBSドラマ「不適切にもほどがある!」で喫茶店のマスター役を演じていた。8月中旬に来年のドラマ出演について電話で事務所側と打ち合わせした際は、特に変わった様子はなく元気だったという。
※1:阿部孤柳氏
1925年、東京都に生まれる。日本大学芸術学部卒業。料理家。全国日本調理技能士会連合会師範会最高顧問。社団法人日本全職業調理士協会理事。株式会社ジャパンアート社代表取締役社長。日本料理に関する講演や、調理技術書を多数執筆するかたわら、池波正太郎原作のテレビドラマ「鬼平犯科帳」の料理指導を長年務める。日本料理の歴史を系統だてて語れる数少ない語り部である。
※2:市川久夫氏 日本の劇映画・テレビドラマのプロデューサー。生涯で映画約100作品、テレビドラマ約600話の制作に携わった。大映企画部長、東宝テレビ部長などを経て、フリーのプロデューサーとなり、映画やテレビの時代劇を中心に制作。池波正太郎原作「鬼平犯科帳」をテレビ時代劇化し、初代の松本白鸚さんから4代目の中村吉右衛門さんまでの「鬼平」を手掛けた。
※3:江原 祥二氏 日本の撮影技師・撮影監督。京都府出身[1]。日本映画撮影監督協会(J.S.C.)所属。経歴 日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。2013年、映画『のぼうの城』で第36回日本アカデミー賞優秀撮影賞を清久素延と共同受賞。2021年、映画『Fukushima 50』で第44回日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞[3]。
出典:引用
①池波正太郎「鬼平犯科帳」のイメージ形成を巡って
~小説とテレビドラマの往還、そして、アニメ「鬼平」へ~ 論文筆者:鶴田武志氏
②スポニチ Sponichi Annex 俳優の沼田爆(ぬまた・ばく、本名知治=ともはる)さん逝去の報道