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 【東京は「清潔な街」のウソ】 

https://president.jp/articles/-/86715

PRESIDENT Onlineにて人気の記事は、中国の国営紙「北京日報」が詳細な調査報道を掲載したことで注目を集めたほか、英ガーディアン紙など欧米メディアも相次いで報じている。
 〜下水から食用油を作り、腐った食材は"下痢止め薬"で味付け…海外メディアが報じた中国料理店の呆れた実態〜

 読みすすむにつれ、現在の中国の恐ろしい実態が浮かび上がって来る。

 翻って、日本はどうなのであろうと本を探して読んでみた。
 【東京は「清潔な街」のウソ】 
 1964年のオリンピックまで東京の街は決して綺麗ではなかった事が浮かび上がってきた。
 『オリンピックと東京改造――交通インフラから読み解く』
 (川辺謙一著、光文社新書)より抜粋しました。

 現在の東京を初めて訪れる外国人観光客は、街の清潔さに驚く人が多いだろう。海外の主要都市とくらべると、東京は清潔で道端に落ちているゴミや落書きの被害を受けた壁を見かける機会が少ない。
 それは地方都市に於いても然り。
 仙台の街並みもアーケードや主要街路を歩いてみてもゴミは少なく綺麗な印象は誰にでもあるだろう。

 しかし、祖父母や父母に聞いていた戦後の日本は決してきれいとばかりは言えない実態がある。
 私が生まれたのは終戦後14年目の夏の仙台で、昭和30年台の後半の仙台の街並みは、市電の線路の両側は石畳が敷かれていたがそれ以外の舗装道路はまだまだ少なく、生ゴミの収集所には木造のゴミ集積箱があるところは良い方で生ゴミの臭いを撒き散らし、六郷堀・七郷堀、梅田側はゴミが浮かび悪臭漂う最悪の状態だったし、公衆トイレの数も少なく、榴岡公園の前にあった家の前では夜桜見物の後には平然と立小便をする輩が大勢居て、X橋{宮城野橋}周辺は街娼が「立ちんぼ」して居たり、駅の東口の国鉄の線路脇に多数あった怪しい小料理屋には2階に貸し間が付随していて、とたん屋根の長屋に大家族が住むなんて当たり前で、「どぶ臭」漂う共同便所に風呂無しなんて数多く存在した事を良き記憶している。

 いつから東京を含めた全国の町並みが清潔な街になったのだろうか。 この謎を解く鍵は1964年大会の前から実施された首都美化運動にあるようだ。
 1964年大会の東京都報告書には、首都美化運動に関する記述がある。
 これによれば、首都美化運動は東京における生活環境の改善を目的としたもので1962年の年頭に当時の都知事が宣言して始まり都民総ぐるみの運動として進められた。
 この計画は1970年を目標とした長期的なものだったが、1964年大会を第一目標として組織づくりや実践活動が進められた。つまり、五輪を迎えるために東京をきれいにしようと東京都が呼びかけ、その必要性を都民に伝える準備を進めてきたのだ。その結果、首都美化運動が多くの都民に浸透し、街中に散乱するゴミや紙くずが一掃された。首都美化運動がなければ、東京は汚い街のままだったとも言える。
 1964年大会から半世紀以上経った現在、東京が清潔な街であり続けているのは、首都美化運動で都民の意識が変わり、清潔さが保たれてきたおかげであろう。

 人口減少が避けられない日本。PRESIDENT Onlineの記事は、遠い記憶を呼び起こしてくれたようだ!

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