成長するとはなんだろう?
人間として生まれてきて日々成長して、いろいろなことを学びそして考え、働き、そして年老いて死んでゆく。
若い頃は、背が伸びたり体つきが変わったり、声変わりをして、学校の学年は(留年しなければ)1年ずつ上がっていく。自然と自分の成長を実感しながら生きている。
しかし、ある程度の年を過ぎると、自分の成長が見えなくなってしまう。一体成長してるのだかしてないのだか、指標となるべきものがないと、自ら気づくことは困難だ。
ある人は、会社に勤め、毎年わずかではあるが給料が上がり、仕事で成果を上げれば一つずつ役職が上がっていく。自ら起業する人は、取引先が増えていき会社の規模が徐々に拡大していく。
また、家庭で子どもを育てていく過程で、その子の成長を見ながら日々向き合うことで自らの姿を投影してみたりする。
そのように、自らの成長を実感するものなのかもしれない。
ぼくも、40代前半までは、介護職員として様々な資格を取得し、職場は転々としてはいたが、小規模のグループホームであったが、管理者となり施設の職員や入居者が過ごしやすい居場所を築いていくことで、成長と呼べるほどのものではないが実感できるものがあった。
しかし、管理者という役職の梯子を外された瞬間から、何も指標がなくなってしまった。
新しい事業を立ち上げようと起案して、上司の決裁が下りたはいいが、周りは一切協力してくれない。一人であちこち駆けずり回り、なんとか立ち上げが見え始めた頃に、上司から予算を削られ、大幅に修正をかけなくてはならなくなり、結局、その事業は1年と持たずに消滅した。その事業を運営していくために管理者の役職から外れてしまったので、その時のぼくが戻れるのは一般の介護職員であった。
そんな時、一番信頼していた(立場的には上司なのだが)同僚に、「今から一職員に戻るって訳にはいかないから、辞めるしかないよね」と意外なひと言を聞いて驚いたが、辞めるしかないのだと悟った。
そこからは、うつの症状が悪化すると同時に、転職先でも上手くいかないことばかりが起こった。それは、ぼくの選択ミスでもあり、その頃はまだ知らなかった自分の発達障害の特性に合わないことが起因するものでもあった。
この時期は、転職を大体3ヶ月スパンで4回も繰り返していたので、もう完全に自分を見失っていた。ただ仕事についていなくてはいけない、という使命感だけで生きていた。全てが空回り、崩壊寸前の岩山、墜落寸前のジャンボジェット。
そこに、新型コロナウイルスの猛威による自粛規制。職場での感染防止への徹底した対策処置。有名人を含む多数の死亡者の報道。もう何も見たくなかった、聞きたくなかった、話しをすることさえしたくなかった。
そして長い引きこもり生活が始まった。
一年以上そんな何もしない日々が続いた。その間に、ASDの診断が出て精神障害者手帳を取得し、障害年金の受給が始まった。
もうすでに50歳になっているのに、今更「発達障害ですよ」と言われても、人生の2/3をそうと知らずに生きてきて、これからどうすればいいのかと絶望とも呼べる気持ちになった。この先どうやって生きていけば良いのかと。
発達障害の特徴・特性を調べていけば、なるほど当てはまることがかなり多い。そうだったのかと納得する一方で、「だったら仕方ないじゃん、無理してやる必要ないな」と諦めの気持ちが心を支配していった。障害を理由にして努力することも我慢することもやめてしまった。
一般企業へオープンにして再就職することも、障害者雇用枠で採用されるのも無理じゃね?就労継続支援A型事業所にも面接で落とされるんだろ、どうせ。
生活保護費と変わらない程度の障害年金で生きていくしかないさ。
この先、生きていって成長なんてするのだろうか?それともこのまま年老いていくだけなのか?
自分次第なことはわかっている。だが、何をもって成長というのだろう。夢も希望も抱くにはもうこの先それほど長くはないというのに。