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常に溺れていたい人

世の中、自己啓発のコンテンツは溢れかえっているし、溺れていて藁にすがりたい人は沢山いる・・・

・・・が、

実は「溺れていたい」「溺れた状態にいたい」だけの人も大勢いる。

友人Tは、パッと見、イワユル「意識高い系」である。常に自分を高める情報を集め、「こうなんだって」「ああなんだって」とうんちくを垂れるのが大好き…

…であるが、

多分Tはそうしていることが好きなだけで、実践する気は毛頭ない様子である。

「いや、でも心持ちが違う」
「前とは変わった!」

と豪語し、全速力で同じトラックをグルグル走り続けるだけで、移動距離は数年前から何も変わらない。

「な、なぜ…はぁはぁ、、、こんなに頑張っているのに」

とたまにつぶやくが、どうやら結果よりも、取り組んでいる事だけを無意識に楽しんでいるんだと思う。

別の友人Kは大学時代から「英語の勉強はこれが良い」「こうやれば話せるようになる」と、永延と英語習得のノウハウを学び続け、肝心の英語を全く学ばない。

結局、知り合って10年以上にもなるが、いまだに外国人の友人を交えて飲みに行っても、途端に座敷童になる

また、別の元友人・現知人のYは、常に怒りの矛先を持っておかないと気が済まないタイプである。常日頃から世間の動向に目を光らせ「こんなありえないことがあった!!」と、会った事ない他人、思い入れがあるわけでもない芸能人の不倫などを、自分の事の様に憤慨し続けるが、第三者としては物凄く活き活きとブッチギレているように見える。

結局、無意識で何にしがみ付いているのか、良くよく見極めないと、「絶対に解決しない問題にしがみ付いていたいだけ」の人というのは実は結構いる。

そういうワタクシも、基本的に不条理さ、理不尽さに対して怒りと悲しみを抱きやすい性格である。今でこそ、ネガティブなモノに目を向けない様に心がけているが、人が図書館や(今時)ビデオレンタルで似た傾向の作品を選ぶように、ワタクシも怒りと悲しみに引っ張られやすい傾向があった。

それらを原動力にしていたせいか、それらのものを手放すイメージは全くつかなかったのであるが、変わりたいと本気で望むなら意識の改革は必要である。

そこへ行くと、友人N子は何人分の人生を歩んだのだろうというくらい人生をエレガントなドレスにピンヒールで爆走し続ける。

日本に生まれ、アメリカの大学を卒業し、結婚し二人の子供を抱えて香港で生活⇒その後離婚、そこからマーケティングの仕事を経てバンカーになり、MBAを取り、今度はコロナ禍の制限をものともせず、ロンドンのロースクールへ留学し弁護士を目指すのだという。パワフルすぎる40代。

そんなN子も10年以上住んだ香港を離れるに際し「でもやっぱり不安もあるし怖い」と口走る。

あぁ、もう香港を離れるのに1ヶ月チョット…もう最後の日々を静かに過ごしているんだろうなぁ…

…と、思った矢先

「昨日考え事してたらひらめいて、会社立ち上げた!」

と連絡が…💦

長年、彼女を見ていて、彼女は目標を定めた事は絶対に達成すると知っているので、キット上手くやるであろうと確信しているのであるが、一体どこまで走っていくのだろう…

…と、小さく大きな背中を見守るワタクシなのであった。

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