
ゾンビへの考察1:ゾンビ怖い
突然ですが、ゾンビ好きですか。
私はゾンビが怖いです。
世界各国あらゆる場所に存在するモンスターや妖怪、UMAの類の中で、一番怖いのがゾンビ。
ドラキュラ、フランケンシュタイン、ぬらりひょん、チュパカブラ、がしゃ髑髏、バックベアード、トイレの花子さん・・・軒並みインパク値や攻撃力が高い超競合達を押しのけ、燦然とトップに君臨するモンスター、それが
ゾンビ。
実際に存在するドクロもミイラも平気ですが(怖いけど)、架空の存在であるゾンビは怖い。
どれだけ怖いかというと、
大ヒットゲーム『バイオハザード』をご存じですか。
このゲームの中で、ゾンビはスーパーマリオにおけるクリボー的な、何の特長もない超ザコ敵というか鉄砲玉というか、そんな扱いを受けていて、一番最初の敵キャラとして登場してきます。
そのため、私はバイオハザードをプレイスタート数秒でリタイアです。怖いから。
でも映画は観ちゃう、だって女のコだもん
そんな私でも、例外的に怖くないのは『ウォーキングデッド』に登場する”ウォーカー”達です。最初は恐怖の対象だったのに、途中から敵への罠が作動するピタゴラスイッチ的に利用されたり、容姿に工夫を凝らされるようになり、ゆるキャラみたいでかわいいとすら思えます。
ゆるキャラであるウォーカーは置いておき、ゾンビには、他のあらゆるモンスターには無い何か異質な怖さを感じます。
ゾンビが怖い理由
そんな感じで(どんな感じなのか)、長年この「ゾンビへの恐怖」を考えてきました。
一部のハイブリッド・ゾンビを除く映画やドラマに登場する大体のゾンビは、動きが鈍く、攻撃力は乏しく、痛みを感じないものの、体は脆い。知的な思考ができず、その活動は本能(?)に基づいており、オフェンスもディフェンスも最弱の部類に入ります。
それが何で怖いのか。
結論から言うと、
ゾンビは我々人間が最も堕落した姿の象徴ではないのか、と思い至りました。
世界各国で「死」の象徴とされる骸骨は、完全に「向こう側」の存在です。ゾンビを死の象徴として描いている美術作品は、古今東西ありません。物質的に骸骨と同じ死体でも、肉も内臓も食欲も持ち合わせているゾンビは、グッと「こちら側」に近い。
生きてはいないが、死の象徴でもない。
向こう側でも、こちら側でもない。
『リビングデッド』、生きている死という状態に陥った人間こそがゾンビなのではないかと。だからこそ恐怖が肉迫してくるのではないかと思ったわけです。
人が学びや進化を放棄してしまうとゾンビになる。ゾンビ化を回避するために、人は学び続けるのではないの?という考えを元に、これらについて書いていってみようと思います。
①生きる死体、リビングデッド
・生きてはいないが、死の象徴でもない
・生命活動の停止→腐敗とニオイ
②噛まれるとゾンビになる
・噛みつく→他者への損害
・仲間を増やす→徒党を組む
③行動原理
・人の血肉や脳を欲する→他力本願
・理性0→思考、進化の停止
・盲目的な徘徊→依存
後半が結構真面目になってしまったけれども、一度可視化してみたいなと思っていた事柄なので、次回以降勝手にまとめていく。
おわり。