みことば
あれから何年たったのだろう。
久々に言葉をしたためる。
したためるで合ってる? 紡ごう。
私の人生何一つ無駄なものはない。
「いま」も「これから」も
なんでこんなことが言えるのか、
私には「Jesus」という希望があるからだ。
一個前の投稿と打って変わって別人格になったのかと思われるかもしれない。
私という軸が死に
私の中心が「イエス」様でいっぱいになった。
もう一人で悩まなくていい、苦しまなくていい
すべて主イエスに委ねることができる、主イエスの名によって求めることができる。
なんという恵みなのだろう。アメイジンググレイスだね。
と同時に後悔がわたしの中で生まれる。
苦しい状況の中でなぜ自分でもがいていたのか、主に祈り、主に泣き、
ハンドルを主に任せればよかったのに、、、と。
そうすればもっともっともーっと主の祝福があったのになぁと。
こういう感謝をするという気持ちを持たせるために主は
私を信じ待ち続けてくれた。
私が選んだのではなく主が私を選んだ。
私が初めに信じたのではなく、主が私を信じ待ち続けていたことを知る。
「静まって私を知れ、あなたが行くのも来るのも見守ろう。
私があなたとともにいる、それで十分はないか。」
はちみつよりも甘く、恋に落ちるより深く、私の吐く息よりも近く
あなたはまどろむことなく私を守られる。
私の岩、私の命の水。
ローマ人への手紙6:4 【リビングバイブル訳】
すなわち、罪を愛する古い性質は、キリストの死によって、キリストとともに葬り去られました。そして、父なる神が、栄光の力でキリストを復活させてくださったとき、私たちはキリストの新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました。