あれから何年たったのだろう。 久々に言葉をしたためる。 したためるで合ってる? 紡ごう。 私の人生何一つ無駄なものはない。 「いま」も「これから」も なんでこんなことが言えるのか、 私には「Jesus」という希望があるからだ。 一個前の投稿と打って変わって別人格になったのかと思われるかもしれない。 私という軸が死に 私の中心が「イエス」様でいっぱいになった。 もう一人で悩まなくていい、苦しまなくていい すべて主イエスに委ねることができる、主イエスの名によって求める
「理不尽」だ。 私はただ、明るく生きたいだけなのだ。 真っ直ぐに育ち、素直な感性を親に与えてもらい 環境も完璧だと思った。 ところがどっこい、川のように 自由気ままに流されていたら 私の身にくっついていた素敵な 「個性」たちが曲がり角、岩、に ぶつかっていくたびに、削り取られてしまった。 22年と7ヶ月、とうとう私には何も残らなくなった。 「私」とは何者なのか、「私」は現在(いま) どの地点を人生において歩んでいるのだろうとか そんなことばかりを考えるようになった。