新社会人になる君へ。伝えたい3つの事
小泉進次郎構文になりそうだが、新社会人は、はじめて会社で働くわけで、仕事そのものが未経験だ。研修医だった時を振りかえり、今から社会人デビューする人々に何か伝えようと考えると、知っとくべきことは3つくらいしかないのでここに書き記しておく。
本質的に仕事は楽しいということ、パワハラと指導の境界線、最初の2年の達成目標についてである。
「仕事は楽しい」=「楽しくないならそれは仕事ではない」
私はそれなりに愉快な大学生活を送っていたから、社会に出るのがものすごく嫌だった。本当は卒業したら内定を蹴ってラクダにのってシルクロードを旅したかったが諸々の事情からおとなしく労働に手を染めることにしたのだった。
3月31日は明日から社会人になる、しかも旅人や詩人ではなく勤め人という仕事をするのが嫌すぎてガタガタ震えていた。学生の頃もバイトはそこそこしていたが、それとはわけが違う。
医師免許という紙切れ一枚だけが、医学知識のある医学生と4月1日の研修医を隔てているのだ。お医者さんごっこのような学生同士での診察や採血の練習はあるが、患者相手となるとそこに練習はなくいきなり実戦となる。だから、責任と重圧で憔悴した己の姿を幻視して3月最後の夜は仕事がいやすぎてベッドの中で震えていた。
だが実際に始まってみると仕事は楽しかった。人を治すということ、症状が重く入院した人が元気になっていくというのは自分の心理的にもいいものであるのはもちろんだったが、今振り返ってもそれ以上に職場の人間関係がよかったことが、仕事の楽しさを決定づけた。
確かに当直明けも普通に仕事があったし、ルールを守る患者ばかりではなかったし、給与が良いわけでもなかった。環境も待遇も知っていた情報通りの職場ではあったが、それでも入職前と後で全く印象が違うとなると、仕事を楽しくなくさせているのは仕事の内容ではなく、同僚の質なんじゃないかと思う。
本質的に仕事とは楽しいもので、もし歯を食いしばって嫌々やらざるを得ないとしたら、それはあなたが間違っているのではなく、環境が悪いと思っていい。
環境、すなわち人間関係が悪くなる原因としてはいくつもあるし、だいたいは雇用者が十分な手当や休養を与えていない、など新卒の人間にはどうしようもできない要素が大きい。だから、自分はこの仕事に向いてないと決めつけず、時期がきたらさっさと別の職場に行くか、それすら待ちきれないなら今すぐ職場を変えることも視野に入れたほうがいい。
間違っても自らを責めて心を病んだりしてはいけない。仕事は本質的に楽しいものであり、楽しくないなら、それは仕事ではない。早く仕事をしよう。
指導とパワハラの線引き
先に行っておくと残念ながら世の中にはパワハラする人間がいて、程度の差こそあれ、あるいは直接の被害を被らなくてもあなたはいつかそれに遭遇する。厄介なのは新人のうちは、パワハラなのか指導なのか区別がつかないことである。
卑怯な人間は「あなたのためを思って」という言葉を隠れ蓑にする。正々堂々とパワハラを行うことを宣言して行う人もどうかと思うが、怯懦は嫌いなので一つだけ見抜き方を教えよう。それはパワハラ疑い発信者の発言内容がDOであるのかBEであるのか、である。
あなたが何をすべきか、はまあ新卒のうちは従っておくしかない。残念ながらDOの命令にもパワハラは隠れているが、それは実力で見抜くしかない。しかしBEの命令、つまりどうあるべきか、は明らかに一線を超えている。つまりあなたの考え方、あり方など根幹となる部分や、生まれ持った性質など、そう簡単には変えられない。具体例を出そう。
「意欲ある新人なら、有給や残業申請はしようと思えないはずだ」はBEの命令であり、かつ違法行為の責任を取りたくないが対価も与えたくない卑怯な雇用者の手口である。ちゃんと申請した上で却下されるという形にして雇用者には違法行為のリスクをとってもらいたい。
「新人は有給や残業申請をするな」はDOであり、業務命令なので従っといたほうが角が立たない。とはいえ、自ら進んで違法行為のリスクを取りに行く見上げた雇用主である。それはそれとして社会人の努めとして違法なものは然るべき官憲に通報することになる。学生じゃなくて社会人なので、悪は悪として対処しないといけない。
最初の数年でやるべきこと
一言でいうと、自分に何ができて、何ができないかを把握すること、できないことはどうやって誰に頼めば解決するか、これがわかれば上々である。
業種にもよるが、医師の場合初期研修は科によってバラバラな業務であり、その道のプロからマンツーマンで学んでも数カ月で習得できるほどどの道も甘くない。研修医の間は手技、つまりは気管挿管や中心静脈カテーテルを何件した、静脈路確保やルンバールがどれくらい上手になった、などで愉快な気分になることもあるし、モチベーションの維持としてはいいけれど、それ以上の何物でもない。
できることが増えることは嬉しいが、麻酔科だって挿管スキルだけで食ってくことはできず、挿管した上での全身管理スキルが必要だし、いくら採血が上手でも、それ単独では優れた医者とは言えない。あるいはCVが入れられないが臨床スキルの卓越した医師はいくらでもいる。
だから何ができるかも大事だが、それは何ができないかの輪郭を知るために重要なことであり、そしてそれ以上に大事なことはいつどうやってだれに頼むか、である。
医学が広く深く広がり、今はもう一人で何でもできるブラックジャックはいないのだ。そして、目指すべきでもない。一人一人がブラックジャックになれなくても、みんなで力を合わせて彼以上の結果を出すのが病院の役目である。だから誰かに頼るというのは権利であると同時に、義務であると思っておいたほうがいい。
最も端的にその能力が露見するのは他の科にコンサルする時だろう。研修医のうちは、なんでも自分でできる医師をかっこよく思えるけど、現実問題として、他科から見て、あるいは患者から見て有能な医者とは、適切なタイミングで適切な相手に頼れる医者だ。
そういった知識を下記のような書籍で学ぶこともできるし、知識は経験を補間する良い相棒になりうるが、それでも経験則の役割が消えるわけではない。上についた指導する先生がうまくやっている姿を見て学ぶのも大事だが、むしろ手詰まりのときにどうやって処理するかをつぶさに見て学ぶことは非常に大事になる。
持続可能な労働
私はいくつかの医療機関で働いてきたが、2つとして同じものはなかったし、カラーも違う。だから共通することなど多くはないのだけれど、一つ確かなこととしては、「ここでダメだったらどこ行ってもダメだ」という思い込みは不要ということだ。
残念ながら最初の数年で心身を壊してしまう医師は少なくない。命を落とす者もいる。他人の命を預かっているんだから、自分に人権なんてあると思うな、みたいなスパルタ指導が残る病院もあるけど、私はあまり感心しない。
人権を無視して考えたとしても、国や社会がそれなりのコストと時間をかけて育てた労働者が数年で使い潰されるというのは、コスパ的にも持続可能な社会ではないからだ。
いい病院もあれば悪い病院もある。そもそも多様な働き方のある現代、共通する普遍的な仕事の本質なんて、「労働して、対価をもらう」くらいしか言えないんじゃないだろうか。
ましてや対価すらロクに払ってないところすらある。単一の施設で、クローズドな人間関係だけをもとに「仕事にむいてない」と思い悩む必要はどこにもないし、あるいは「仕事とは」を断定的に語る人の言うことは話半分で聞いたらいいんじゃないかな。私の話も含めて。
それでは良き船出になるように。そして嵐の際に戻るべき港は一つではない事を忘れずに。