私たちは日々、可能性を奪われている
皆さんの周りに、このような人はいないでしょうか?
もしくは皆さんご自身はいかがでしょうか?
目の前の仕事や業務・やるべきことに対して、すぐに「難しい」と言ってしまうような人、いないでしょうか?
「難しいー!」と、笑顔でニコニコしていたとしても、「チッ」と、舌打ちしながら「ムズっ」と言っていても同じです。
その、おそらく何も考えられずに発せられた「む・ず・か・し・い」という5文字によって、あなたないし、周りの人の可能性を奪っている、ということはご存知でしょうか?
そして、その「むずかしい」という一言によって、その目の前にある仕事・業務・やるべきことは、本当に難しく変身してしまうと、いうことについても同様です。
「本当に難しくなってしまっている」ということを、もしあなた自身が感じていることができていれば良いのですが、実際のところはなかなか気付くことはできないものです。
本当はちょっぴり頑張ればできることなのに、誰かの「むずかしい」という一言によって、難易度が高く時間のかかる問題に変身してしまう。
古来から、「言葉は言霊」だと言われており、つまるところ、言葉には暗示の効果があるということが言えます。
【自分が発した言葉】、【自分に入ってくる言葉】、この2つは、人間の大脳にある海馬というところにどんどん蓄積されるようになっているらしく、日常的な出来事や新しい情報はこの海馬の中に入っていって、それぞれ必要な時に取り出すことができるようになっているとのこと。
人間の脳はとても優秀で上手くできています。
人から可能性や成長を奪う言葉ということについて、私の体験談を書きますが、私は小学校の頃、スイミングスクールで水泳を習っていました。
スイミングスクールで習う泳ぎ方の順番は、クロール→背泳ぎ→平泳ぎ→バタフライという流れでした。
ある日、私より先に水泳を習っていた友達(厳密に言うと先輩)からこんなことを言われたことがありました。
「バタフライはとにかく難しいんだ。難しいだけじゃなくてすごく疲れるし、しんどいよ。」
私はその当時、順番で言うと3番目の、平泳ぎを練習している最中でした。
この平泳ぎのテストをパスすれば、次はバタフライに挑戦することができる、という流れです。
そんな私に、絶賛バタフライを練習中の友達(厳密に言うと先輩)は、良かれと思ってバタフライの難しさを事前に教えてくれていたのでした。
もしかしたら、「自分は今、難しいことにチャレンジ中なんだ」というアピールだったかもしれませんが、そこは一旦置いておいて。
私は、クロール・背泳ぎ・平泳ぎと、まさにスイスイ覚えていった。
泳ぐのが楽しかった。
そして平泳ぎをバッチリ習得し、進級試験をパス。
さて、次はバタフライの番だ。
しかし、実際にバタフライの練習を始めても、これまでの3つの泳ぎ方のように上手くはいかなかった。
上手くいかないというか、結果的にバタフライを習得するのにかなり長い時間がかかってしまった。(泳げるようになったのか、途中で辞めてしまったのか、なかなか思い出せないくらい…)
ここで水泳のプロにお聞きしたいのですが、バタフライを泳ぐのは本当に難しいのでしょうか?
他の泳ぎ方に比べて難しいものなのでしょうか?
難しいから最後に習うのだとは思いますが、そこが論点ではなく。
今振り返ると、友人の言葉である「バタフライはとにかく難しいんだ。難しいだけじゃなくてすごく疲れるし、しんどいよ。」という言葉が当時の脳の海馬さんにしっかりと残っていた為、
「自分はこれから難しい泳ぎ方を習得するんだ」と自分に自分で、不必要なプレッシャーをかけてしまっていたのだと振り返ることができます。
「むずかしい」という一言は、やったこともない未体験のその仕事や作業・行動が、
「なるほど、今から取り掛かろうとしているこの作業は難しいものなのか、できなくてもしょうがないか」という風に、脳が瞬時に教えてくれることになってしまう。
そうすると、もうその仕事や作業を高いクオリティでアウトプットすることはできなくなってしまうのです。
つまり、やる前から白旗をあげることになる。
まぁでも仕事だし、やらなきゃいけないから一応やることはやる。
それでも始めてみると、なかなか力が入らなかったりする。
それは当然ということです。
経験上、力が入らない仕事をすると、時間が経過していくにつれ、人のモチベーションは下がっていくものではないかと思います。
そして何よりも、時間がかかり過ぎてしまいます。
でも、逆に考えてみるとどうでしょうか?
同じ仕事や作業を前提として、例えば上司から「これから任せる仕事は、とてもやりがいがあるし、あなたの成長に繋がるものになるよ。何より楽しいんだ。」と言ってもらえるとどうだろう?
「お!やったことはないけど楽しんで取り組んでみるぜ!」と思いながら仕事にあたってみるとどうだろう?
何なら、そう上司から言われていなくても、嘘でも口に出してみるとどうだろう?
そう、脳は、いや、海馬さんは、その通りにその仕事と向き合おうと、ポジティブな信号をあなたに送ってくれるはず。
今の時代は、VUCAと言われていて、先が見えない不確実で複雑の真っただ中だと言われているらしい。
いったいぜんたい、明日何が起こるか分からない時代を私たちは生きているらしい。
まさに「新型コロナウイルス」がそれを教えてくれたことは、言うまでもないでしょう。
誰が自宅で仕事をする日が来ることを予測していただろう?
誰がマスクをつけることが常識になるなんて予測できただろう?
言ってしまうが、私も含め、皆さんの目の前には、難しいことばっかりが既にそもそも広がっていたりもします。(おい!あんたも難しいって言うんかい!)
目の前に、未体験・未経験なことが現れたときに、誰しもが「難しそう」と実は思ってしまうものだろうと思うし、私たちは少なくともそう教育されてきたのだと思う。
だから、難しいと言ってしまうということは、実は必然のことでもあるのかなとも思います。
そもそも難しいっていうのは、簡単じゃないということ。
そりゃ簡単なことばかりやっていたら、生活するだけのお金をゲットできていないかもしれない。
そして、自分の成長をゲットできていないのかもしれない。
でも、だからと言って、「難しい」と言うことが「悪ではない」とは、私は思わない。
だって、周りにいる人の「可能性を奪っちゃっている」んだから、やっぱり悪なんだと思う。
そして、ここで伝えたい大きなポイントは、心では「難しい」と思うことは許されているっていうこと。
周りに対して発していないし、言葉としてこの世に生まれてきていないからギリギリセーフ。
誰にも悪影響は与えていない。
「うーん、じゃあいったい、どうすればいい?」
答えは簡単。
心では難しいと思ってしまったとしても、
「お!やったことはないけど楽しんで取り組んでみるぜ!」と、騙されたと思って、まずは言ってみる。
実際の想いとは裏腹だとしても、まずは口に出してみる、ということです。
そうすると、脳の海馬さんを騙すことができるみたいなんです。
新しい泳ぎ方にチャレンジをする時。
「バタフライはとにかく難しいんだ。難しいだけじゃなくてすごく疲れるし、しんどいよ。」という言葉が聞こえてきたとしても、
「お!そうなんだ!でも、やったことはないけど楽しんで取り組んでみるぜ!未知の体験、カモン!」と、小学生の自分が口に出して言っていたら、もしかしたら今でも、バタフライを泳ぎまくっていたかもしれない。
海馬さん「あれ?これ難しいんじゃないの?楽しんじゃうの?なんかいい感じじゃん!やってやるぜ!」ってな具合に。
もう一度、ポイントを言わせてください。
実際の想いとは裏腹だとしても、まずは口に出してみる。
コレです。
コレが大きなポイントです。
つまり、「言葉が心を引っ張る」っていうこと。
これを、「コトバドリブンメソッド」と名付けてみたのです。
言葉(コトバ)を起点(ドリブン)にして心を引っ張って、自分が前を向きながらワクワク生きる方法(メソッド)。
そんなきっかけを自分で創るための方法を、自分の体験談から説いた理論です。
え?それ本当なの?って?
嘘のように聞こえるかもしれないけど、先ほども記載したように、「言葉は言霊」です。
まさに「コトバドリブンメソッド」もこの考えを信じて、実践して、出来上がったモノです。
そこに、さらに私自身のこれまでの体験談から得た知識を加えて、磨いたものとなります。
毎日がパッとしない、モチベーションが上がらない、やる気が出ない、楽しくない・・・。
私もガッツリその経験をしてきたし、暗いトンネルの中で立ち止まってしまうことが何度もありました。
でもそんな心を変えたくて、自分なりに自分と向き合ってみたんです。
そんな時に「コトバドリブンメソッド」を作ってみた。
もともと言葉については深い興味があったということもありますが、それを活かしながら現状を変えたかった。
自分で自分が前向きになれるような仕組みを作っちゃって、自分で実践して効果があれば、大切な人たちに伝えようと思ったのですが、結果を先に言います。
「コトバドリブンメソッド」を実践した結果、仲間・友人・お金・バスケをする時間が増えて、減ったものは若白髪です。
これは嘘でも冗談でもなくって、本当の話。
「コトバドリブンメソッド」は、私がこれまで働いてきた企業の中で、仮説として気付き、そのまま実践してみた検証済みの代物となっております。
そして自分の体験、その中で得た気付きをまとめて、一つのメソッドにしたものです。
そしてそれが本当に正しいのか、またもっと肉付けできる内容はないのか、そんな実験を今でも行っています。
しかし、それによって効果が出ている自分以外の人がいることも事実です。
ただ、あくまでも強調するのは「実験中である」ということなのです。
最初こそ、こんなことをして本当に良いことがあるのか?と、自分で自分に疑念を抱く瞬間もありましたし、暗闇の中を歩いている感覚さえありました。
だからこそ、多くの時間もかかったし、この理論自体が間違っているのでは?と思うことも何度かありました。
しかし、様々な体験者からの嬉しい声や、何よりも自分自身に起きた変化によって前へ前へと進んでいくことができました。
そしてこの「コトバドリブンメソッド」を実践することで、これからさらにどんな良いことがあるのか、そんなことを探しに行っている途中です。
もしよかったら一緒に、得られる新しい効果を探しにいってみませんか?
そして、以前の私と同じような悩みを持っている人に、少しでもプラスの影響を与えられたら嬉しいなと思っています。