傷と、関心。
7、8年前でしょうか。
25か、そのくらいだったと思います。
私は心が苦しくなると、手首に傷をつけていました。
血が出るのは怖かったので、金属の定規で擦って
みみず腫れのような傷跡が出来るのを見て、安心していました。
その行為に何を求めていたのか、正直よく覚えていません。
傷をつけることで、心の苦しさを何とか癒そうとしたのだと思います。
『霊魂修繕工』というドラマを視聴中だと、前回の記事に書きました。
そのドラマの中で、女性が同じように手首に傷をつけ、その写真を好きな相手に送るというシーンがありました。
それを見ていて、ふと、ある出来事を思い出したんです。
かつて私が勤めていた職場での出来事です。
私はその日の前日、手首に傷を作っていました。
理由は覚えていません。
傷はそれほど目立つものではありませんでしたし、制服のシャツで隠れていると思っていました。
その日の午後、同期の男の子(私が好意を寄せていた相手でした)がその傷に気付いたようで、直接言うのではなくLINEを一本くれました。
”女の子だから、傷が残ってしまうといけないよ”
彼が送ってきたのはそれだけでした。
何故そうしたのかとか、止めなさいとか、
直接的なことは言わずにそれだけ。
私は、とても嬉しかった。
自分のことを、こうして見てくれている人がいるんだと。
直接言うのでは無く、LINEでくれたことが尚更、二人で秘密を共有しているような気分になって嬉しかった。
その考えが、少しずつ歪んでいったのだと思います。
こうしていれば、私のことを見てくれる。そういうふうに。
心が辛いから傷をつける、という行為ではなく
私を見て欲しいから傷をつける、そんな風になっていました。
傷を今までよりも強く付けてみたり、絆創膏を貼ってみたり。
その彼に見えるようにわざと手首を見せてみたり。
今振り返って考えると、
私に関心を持って欲しい、愛情を注いで欲しい、視線を向けて欲しい
そんな気持ちからの行為だったと思います。
ドラマを見ていて、自分も同じような経験があったことに気付き、不思議と心が軽くなりました。
あの頃の心理状態を思い出すことで(結局は今現在の想像にはなりますが)、客観的に過去の自分を見ることが出来たような、そんな気がします。
解決策を見つけることよりも、自分の過去と今を受け入れること。
それが今の私には必要な気がしています。
今日はこの辺で。