罪悪感と贖罪、矛盾する思い

両親への罪悪感を感じている。

これまで何もしてこなかった。
してあげたことといえば、自分が食べているお菓子をおすそ分けしたくらいのものだ。

ずっと甘えてばかりだった。
迷惑をかけてばかりだった。
何も配慮をしてこなかった。

これは、恩ではない。
罪悪感だ。

自分のために、大変な苦労をしたであろう両親に対する罪悪感なのだ。

俺は、両親に贖罪をするべきなのかもしれない。
それは一般には、恩返しと呼称されるだろう。

どんな贖罪が望ましいか。
そんなのは一つしかない。
公務員のような”安定した”職に就き、ほどほどの年齢で結婚をし、孫の顔を見せる。

それが、父と母に対する贖罪である。
父が勤める会社の経営が若干傾いて以来、母親は”安定した仕事を””クビにならない仕事を”と、そればかり口にしている。
早く孫の顔がみたいなんて、何回言われたかわからない。
父と母の望みは、おそらくそれなのだ。

だからこそ罪悪感を抱くのだ。
俺はあくまでも「上京して一人で生きること」を目標に掲げているから。

考えてもみろ。
手を焼いて苦しい思いをして、いろんなことを我慢してまで育ててきた自分の息子が(しかも長男が)家を継ぐことも拒否して一人で上京してしまうのだ。
年老いていく自分たちを見捨てて。
こんなにむなしいことがあるだろうか?
「なんのために子を産んだのか。何のために育ててきたのか。これまでの我慢はなんだったのか。」
そう憤らずにいられるものか。

だけど、俺は、一人で生きていたいのだ。
誰も傷つけたくないから。
誰かを傷つけたという事実に苦しみたくないから。

富山になんていたくない。
友人関係を構築するのが苦しくて仕方ない。
帰宅するたびに「いい人いないの?」なんて言われる人生はごめんだ。
俺は自分のために、誰も知らない東京へ行きたい。

伴侶なんていらない。
俺は誰かを大切にすることなんてできない。
俺はいつだって自分しか見ていない。
俺はエゴイストだ。

子供なんて欲しくない。
子供を育てる責任なんて持てない。
立派な大人に育て上げる自信がない。
俺はどこまで行っても自分が可愛くて仕方がないのだ。

そして、だからこそ、その狭間で悶える。
両親に対する贖罪の意識と、誰かと生きることに対する忌避感の狭間で。

そして、その奥にある、「俺は俺のやりたいように生きたいのだ」という
抑えきれないエゴイスト的な側面が見えてしまって
それが苦しくてたまらない。
そんな自分が心底嫌になる。

…そうしてまた、お気持ち表明オナニーに無駄な時間を費やす。
非生産的な人生を送る。

自分を嫌いになるのは好きだ。
絶望の淵に沈んでいるその瞬間だけは、何もしなくても良いから。

そして、なんでもないアニメのイラストなんかに元気をもらって、そしてまた悩み、お気持ちポエムを書く。
同じ過ちを繰り返したその先には、退廃的な生しか待ってはいない。

何やっても上手くいかない日は、とっとと寝ちまうに限る。
はあ、今日も無駄に浪費してしまった。
明日はどう生きればいいんだろう。
いっそドラえもんでも出てきてくれたらいいのに。

んなわけあるか他責思考のどぶかすが。〇ね。

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