サボり癖、友、躁鬱。【日記】
今日も、講義をサボった。周りの目を気にしながら授業を受けるのが苦痛だった。
「誰も自分に興味なんかありはしない」
「ここにいるのは俺と関係の無い人だ」
そう言い聞かせてもこの鬱蒼とした感情が晴れることはなかった。
-前期の終わりくらい、からかな?
時々講義をサボるようになった。なんとも言語化が難しいのだが、精神的なしんどさが「授業に出なければならない」という義務感を超えた。
授業中に居眠りをしたり、7限や土曜補講に文句を垂れることこそあれど
高校までは授業をサボったことは1度もなかった。大学生になってからの悪癖。
サボっている科目は、主に英語やフランス語などの「人と喋る」科目。
特に英語は、ゼミでグループ一緒だった子とか体育一緒にやってた子とかいるんだけど、それが原因で行きづらくなった。
というのも、その子たちとめっちゃ気まずくて。
元々街とかで友達見つけても色々考えちゃって声かけずに逃げるタイプなので、
そんな俺を見て相手側が「じゃくしゃ、あんまり自分のこと好きじゃないかも?」って勘違いしてるのかもしれない。
真偽はさておき、俺がそっけないことするから相手にそっけない態度とられて
「あ、やっぱ嫌われてんのかな」って俺が逃げる、みたいな悪循環ができて、
気づいたらすごい距離が出来てた。
元々仲良くなったつもりなだけかもしれないけれど。
このままサボりが増えていくと留年、下手すれば中退する所まで行ってしまうかもしれない。
就職のアテもツテもないからそうなったら完全に人生詰み。
と思う反面、そっちの方が俺は幸せなんじゃないかと思う自分もいる。
親の期待という名の束縛から逃れられる。普通に生きる、という名の束縛から逃れられる。
何より人に嫌われたくない、嫌われるのが怖いという感情から逃れられる。
俺にとってとても魅惑的な果実に違いない。
いっそ精神科で診断書を書いて貰えないかな。生ポで生活したい。
そうなんど思ったかわからない。
そうなってしまったら人間終わりだ、俺はまだそこまで落ちぶれちゃいない。
そう思いたい自分との葛藤を繰り返す毎日。
それでも高校までは幸せだった。
高校までも同じような疑心暗鬼に陥ったことが何度もあったけど、その時は近くにいる親友が助けてくれた。
高校時代の親友たちはずっと近くにいた。俺が疑いを差し挟む余地すらないほど、彼らの方が俺に絡んでくれた。
今思えば、かけがえのない友に間違いない。
逆に、中学にはずっと遠いのに何故か近い親友もいた。
彼もまた俺と同じように人を信じない人間だった。お互いに近寄らないのに何故か俺と彼はずっと一緒にいた。
無意識に似た者同士だとわかってたのかもしれない。
彼もまた、無二の親友である。
寂しいのかな。
寂しいのかもしれない。
でも、自分から絡みに行く勇気はない。
いつだって俺は受け身だ。
受け身な人間は、運命に翻弄されるしかない。
そんな自分を認めたい、受け入れたい。
そうすればもっと楽に生きられるのかなって思ったこともあった。
でも、そういう考えは俺には合わなかった。
俺は頑張ってないから。頑張らなかったから今がある。それは俺の責任。全て俺が悪い。
努力してない自分すら認めるってことは、それは頑張る自分を否定しているってこと。
逃げている自分を許す訳にはいかなかった。
できなくても、失敗が怖くてもやろうとしないといけなかった。
嫌なことから超逃げたいと思っている自分が情けなかった。
最後に告白する。
俺は本当に大好きな友達を疑ってしまった。
友を信じることが出来なかった自分の弱さが憎くて仕方ない。
本当にごめん、こんなの被害妄想だ。
強さが欲しい。友を信頼する強さが。
~追記~
ここまで病み散らかしといて雰囲気ぶち壊しますね
なんか色々あって、吹っ切れました!!!
げーむがんばるます!!!!!