幸せとは。

星が降る夜と 眩しい朝が 
繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった
雨に傘を差せることだ


…っていう「瞬き」の話をしたいんじゃなくて、今回は僕にとっての「幸せ」、そして「生き方」についてのポジショントーク的な何かです。


自分の人生を生きるってなんだ。
俺はいつも自分が何をしたいのかわからなくなる。
なんでだ。
こらえ性がないから?
自分を律する心が弱いから?
明確なビジョンを持ってないから?

全部かもしれない。
ちょっとダメなことがあったら、すぐ「これは本当にやりたいことなのか?」を問い直す。
そしたら、大抵のことはなんとなくで頑張ろうとしてることだから「やりたいことじゃないかも」という結論に至る。明確な理想像、あるべき自分が見えてないから。
辛いとき、逃げれるなら絶対に逃げる。
だから何も成せない。

もしかしたら、心のどこかで「どうせ何も成せやしないんだから頑張る意味なんてない」って思っているのかもしれない
「がんばりたいって言ってるけど、実際今のままでも満たされてるしな、幸せだしな」って絶対思ってる。

「自分の人生を創っていない」なんていう意識高い悪口に踊らされて、高みを夢想して、勝手につらくなって勝手に苦しんでるだけなのかもしれない。

この際認めよう。
俺はこのままでいいと思ってる。

適当に頑張って、のらりくらりと楽しくやれたらそれでいい。
だるいだるいと言いながらなんとなくで仕事やって、うまい飯食って大好きな友達とくっちゃべりながらゲームしたりして、あったかいおふとんで寝る。

たまにギター弾いてみたり、ポエム書いたりして承認欲求満たしたりしてもいい。
ギターうまくなったら弾き語りやってみたり、たまにpixivに二次創作投げたりして。

それが俺の幸せ。
富山でそこそこのワンルーム借りて、そこそこの会社に就職して、Twitterの友達と絡みながら1人で楽しくやってく。

…ありえんくらいビジョンが見えて涙ちょちょ切れそう。

「こんなになんの変哲もない人生でいいのか」なんて喜多ちゃんぶってみたけど、もう取り繕えない。多分俺はそれでいいんだと思う。

肩の力抜いて生きていくのか。
それが俺に合った生き方なのかもしれない。そんな気はすごくする。
でもいいのか。それで。
モブで。

…長いこといじられ枠としておもちゃになり続けて、遂にプライドが完全に消滅したのかもしれない。

もしくは、これが「大人になる」ってことなのかも。「諦める」ってことなのかも。

それでいいんじゃね。もう。

そのほうが人生楽しそうだわ。



なんか色々吹っ切れたような気がします。

どうせまた病むんだろうけど、人生楽しく頑張っていきたいと思います。

俺には高い理想なんて似合わなかったのかな、と少し寂しく思ってしまう自分もいますが
なんか身の丈に合ってるっていうか、俺らしいっていうか、そんな気持ちでもあります。


ここだけの話なんですが、実は僕、作詞作曲をやろうとしていたんです。

カンザキイオリさんみたいな、命を歌える人になりたくて。

でも、自分の中には何もなくて。

何かを伝えたい自分は空っぽで、それでいて平穏に満たされていて。

何も生み出せない自分に苛立つ日々だったんですけれど、ようやくその理由を見つけられたような気がします。

要するに、俺は幸せだったんです。

幸せで、満たされているから、創作をする動機がなかった。

伝えたいものなんて初めからなかった。

だって今のままで幸せだもん。

Twitterでしょーもないツイートして、3いいねくらいもらえたらそれで俺の承認欲求は満たされてしまいますし。

何かを書こうという、何かを作ろうという強い意志が、動機が俺には足りないんです。

スプラ頑張れないのとか、シャドバ頑張れないのとか、全部それで説明できる気がします。

だって今のままでも幸せだもん。

不幸せになり始めてから考えることだったのかも、と思いました。


挙句、創作のために自ら不幸になろうとしたりして、ここしばらくメンタルが不健全すぎたのでこの辺が潮時なのかな。


もちろん、これからもポエムは書くし創作活動も模索し続けます。

自分が楽しめる範囲で。無理のない範囲で。


ただ、その選択をすることへの躊躇が少なからずあるんです。

そんなポエムは、そんな冷めた味噌汁みたいなポエムは、果たして求められているのか?


お前の熱があれば文章がぐちゃってしててもいい。

そう言って背中を押してくれた友がいる。

変に気取った言葉じゃなくて等身大のじゃくしゃの言葉で書いてほしい。

そう言って応援してくれている友がいる。


腑抜けて棘を抜かれた、ひねくれても偏屈でもない俺のポエムを、読んでくれるだろうか?応援してくれるだろうか?

そこに不安があるんです。

彼らがそれだけで俺のことを見向きもしなくなるわけはありませんが、自分という存在を認めて、応援してもらえるようなパワーがお気持ちポエムにはあったわけです。

それを失うかもしれない。


それだけじゃない。

俺のポエムの根源は、苦しみです。

ひたすらに自分と向き合って、自分を嫌って、自分を傷つけて、やっと生まれるものです。

幸せになってしまったら、そもそもポエムが書けなくなるかもしれない。

かつては、行き場のない感情の墓場として始めた、日記のようなものでした。誰も見向きもしないだろうし、何の感情も抱いてなかった。

でも、今は違う。お気持ちポエムは、もはや俺にとってアイデンティティの一つですらあります。


とかなんとか色々不安はあるんですけど、変わってみないとわからない。

ポエムによって承認されなくとも、そもそもかまわないかもしれない。

ちょっと、肩の力抜いて生きてみます。


おわり。

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