"俺はもう歳だから"と言う大人にはなりたくない
思考ノートぶん投げます、かなり話唐突なので補足
これから年をとって、大人になっていく過程で
「具体的に何を目指して・どこをゴールにして生きていこうか。」
ということを考えていた時のメモです。
そこまで情熱を燃やせるものは見つからないけれど、このまま怠惰でい続けるのはどうにも居心地が悪い。そんな思いが根っこにある状態で書きました。
それではほんへ
今の日本社会では、
①必要最低限の教育を受けている
②税金を必要十分に納めている
③他の人間が嫌がるような迷惑はかけない
これらを満たしてさえいれば、極論何もしなくたって構わない。
①②を満たすために大概は労働をする必要があるから人は働くのだけれど、そこに
「なにか偉大なことを成し遂げる」
だとか
「崇高な目標に向かって頑張る」
なんて条件はない
じゃあ、最低限(働いて)納税さえしていれば、別に頑張らなくたって"許される"わけだ。
これは個人的にはかなり新発見ではある。
ぬるま湯に浸かって、上手くいかない現状を知っていながら、現状を変える努力もせずに愚痴を垂れるだけの情けない大人ばかり見てきた。
だから、
「こんな大人になりたくない」
「情けない、こんなことが許されていいのか?」
って思っていた。
(こんなの多分9割方のコンプレックスつついちゃうから親にすら言えたことないけど)
しかし、正直な話をすると、自分に
"人生をかけて成し遂げたいと思う、自分の魂がアツく燃えるような目標はあるか?"
と問うと、間違いなく答えはNO。
実際自分もその"情けない大人"とそう変わらないということ。
行動できない自分の情けなさに蓋をするためにそう思い込もうとしているだけなのかもしれないが、現状は
"美味い飯くって大好きな友達としょーもない話をしてあったかい布団で寝ることができる"
それだけでも十分に幸せかなって思っている。
だから、今自分に"何かに挑戦しよう"という動機があるとすれば、
・趣味程度に、程々に頑張りたい
・情けない自分への些細な反抗心
・(ほんの少しのパッション)
であるわけ。
(実際には、"こいつのために"とか、"なにかしてあげたい"っていう自分以外に動機が存在するモチベーションがあるんだけど、これはその動機の揺らぎやすさであったり色々と複雑なので一旦省く)
つまり今は、"これを頑張りたい"という明確な像が存在しない。
(強いて言うなら就活かな、ちゃんとした大企業に就職と上京を両立したい。でも正直まだ地元を離れる覚悟というか踏ん切りがついてない。)
となると、今は力を溜め込む期間なのかな?
なにか"本気で命かけてやりたい"って思えるものが見つかった時に、「俺はもう歳だから」っていう言い訳の余地すらないほど、すぐに走り出せる用意をしていればいいのかな?
力を溜め込むって、具体的になんだろ。
選択肢を潰さないとか、少しずつでも興味を深めていくとか、そういう形になるのかな
何が必要で何が必要ないのか、そこが見えないから行動の取捨選択が難しいな
そういう、明確なゴールの見えない道を進む時、必要なのが多分前に友達が言ってた"無理のない範囲で常に限界突破"なんだろうなぁ
まっすぐまっすぐに進むのではなく、布に水が染み込むように、全範囲に少しずつ広がるイメージ。
とにかく、将来自分が"俺はもう歳だから"って言い訳する情けない大人になるのが本当に嫌だ
でも思ってるだけじゃだめだから、駄目なのは今までの人生で嫌という程実感させられたから、言わなくて済むように準備をする。
今までの人生で唯一の教訓と言っても過言ではない、"口だけではなにも付いてこないし何も成せない"というのを心に刻んでおく。
そして、常に
"これは本当にやりたいことでは無いのか?"
"自分の心に「俺はもう歳だから」と嘘をついていないか?"
を問いかけ続ける。
とか言ってたら、やっぱり自分の心に嘘ついてる気がしてきた
スプラがんばる。おわり。