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無コロナ県運動があった、という事実

この本👇の第2章3で述べられていた「感染者相関図」、噂には聞いていたものの実際に見たことがなかった。

検索してみたら、今もネット上に残っていた。

福井新聞のデジタル版より、4月11日時点、とのこと
紙面はこのように掲載されていたようだ
これは沖縄タイムスのデジタル版より

うわぁ、えげつない・・・・
2020年4月頃、こんなのが当たり前のように新聞に載ってたんやねぇ…まるで都市伝説のようだ。

こんなものを毎日見ることで、「県外」と「飲食店」がリスクである、という発想が刷り込まれてしまったのだろうな。
当時はこの相関図に実名を書き込んで拡散する人々もいたらしい。
ほんと、人間不信になるわ。

なお、この図の作成に関わった福井新聞の記者はこう回想しているという。

みんなが読んでいる。それだけのことを感じたのは初めてかもしれないですね。記者を二十何年やっていますけど、新聞の意味があるとか、「書く意味があるんだなあ」と思うことは、あの時が一番強かったかもしれないですね。

「コロナ禍と出会い直す」第2章3

・・・あまりにも意識が低くて嘲笑を禁じ得ない。
週刊文春とかが嬉々として大衆を扇動して文化破壊に勤しむ動機も、同じようなものなんだろうなぁ、と思ったりした。

この図が人々に与えたインパクトは大きかったのだと思う。
結局、この図によって、

新型コロナは「誰もがなり得る」という注意が表面的にはなされつつも、間違った行いをする人、うかつな人が感染する病気として社会化されたといえるだろう。

「コロナ禍と出会い直す」第2章3

特に強調されたのが「県外リスク」であった。入ってくるな、出ていくな、という根拠不明の戯言が、多くの方々から聞かれた。
当時の私は「無らい県運動の再来」としか思えなかった。つまりこの相関図は、「無らい県運動」👇を愚かにも繰り返していたという歴史的証拠だ。

これについて、磯野真穂氏は以下のように書いている。

行政目線の境界を、住民目線の境界に変換することに、県が成功したことである。(中略)
県が県民の身体感覚を情報発信により操作し、意図した方向に動かすことに成功したということである。

「コロナ禍と出会い直す」第3章1

私たちが注意を向けるべきは、一見自発的になされるように見える言語が、権力の介入を受けていること。「あなたのため」を装いながら、権力が身体に介入してくることである。

「コロナ禍と出会い直す」第3章2

だから、我々が「無コロナ県運動」を繰り返さないために、今後も自覚しておかねばならないことは、以下の事実だ。

個々人のレベルで考えるべきは、私たちの身体はいともたやすく権力の介入を受けるということ。加えて、その介入とは表層的なものではなく、身体のより深いところ、すなわち感じ方のレベルにまで入り込むという事実である。

「コロナ禍と出会い直す」第3章3

無らい県運動についてまとまった本👇
私は2020年7月ごろに購入して読んだ。当時目にしていた事態とのあまりの類似性に驚愕したことを覚えている。
「歴史から学ばない」ことの罪深さを思い知った、貴重な経験だった。


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