「目立ちたがりの秀才」を警戒せよ
1
最近、小野一光氏による👇の本を読んだ。
この本は小野氏が長年の取材により収集された資料や裁判記録、インタビューなどが惜しげもなく詰め込まれている大著だ。本当に凄い仕事だ。
ノンフィクションライターを生業にされているとはいえ、この事件を淡々とまとめることができる精神力が凄い。
でも、大著であるがゆえに事件のあらましを知らないと読みにくいかもしれない。
ゆえに、この事件に関しては、先に豊田正義氏による👇を読んだ方がいいかもしれない。
私は7年ほど前に豊田正義氏の本を読んでいた。
それでも、小野一光氏の本、特に5歳と10歳の児童に関する話は、読んでいて本当に胃が痛くなり、なかなか読み進められなかった。
豊田正義氏の本以後の話、特に犠牲者の親族の現在の想いも取材されていたのも、興味深かった。
事件後の松永と筆者とのやり取りで、松永の人物像がより具体的になった。
ちなみに拘置所で初めて面会した時の松永の第一声は以下のようだったらしい。
ああ、こういう人、いるわ・・・
2
小野氏の書籍P367~369にある、松永が高校生の時に確立した処世術、という「烏骨鶏の卵で金儲けをする方法」は、典型的な「ナッジの悪用」として興味深かった。以下、松永が検察官に語った内容である。
そのうえで、「私は物事を考える基本原理は、次の言葉に集約される。」
まず自分自身に対する忠告として
その上で他人に以下のように働きかける
このような方針を貫き、身内で殺し合いをさせた。
そして、恐るべきことに、松永は殺人及び死体解体現場には一切居合わせていなかったのだ。
「成功したときには報酬がもらえ、目標達成に向け、自分が直接手を下さなくてもよくなるのである」を貫いていたのだ。
3
この事件、概要自体が既に「閲覧注意」レベルだ。
だから、上記の2冊は、気軽に読むべきものではないだろうし、万人に勧めることができる内容ではない。
でも似たような構造である尼崎事件ともに、「あのようなことができる人々」が世の中に一定数潜んでいること、そして我々も知らないうちに巻き込まれているかもしれない、ということは、頭に置いていて損はないように思う。
そして私は、「烏骨鶏の卵」における松永の考え方と、コロナ対策禍において恐怖を喧伝していた「公衆衛生の専門家」及び「感染症の専門家」の考え方との類似性を、どうしても感じてしまうのだ。
もしかすると、世の中の「目立ちたがりの秀才」たちの発想の根本には、松永と同じものがあるのではないか?その点でも、知っておいた方がいいと感じる。
松永も、目立ちたがり屋で、口が達者で、その場しのぎの大口を叩き、強いものには弱く、弱いものには強い人間だったようだから。
(補)ちなみに、事件の首謀者2人(松永と緒方)の長男が現在どう考えているかは、👇の本に詳しい。
「人殺しの息子と呼ばれて」張江泰之 [ノンフィクション] - KADOKAWA