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(上から目線で心苦しい表現だが)衆愚政治ショーを目の当たりにして。

一昨日まで居住地である兵庫県で繰り広げられた一連の(上から目線で心苦しい表現だが)衆愚政治ショーを経験し、思ったことを記しておく。

テレビ、新聞をはじめとするオールドメディアに対しては、かつての自虐史観の喧伝に始まり、安倍政権時代の忖度報道、それに続くコロナ対策禍・ワクチン禍における体たらく、などなど・・・
と、イデオロギーと権力の手垢にまみれた信用ならない存在である、という認識は、私自身も強い。

それでも一般的には信用されていると思っていたが、思った以上に信用は失墜していたようだ。
正直、「ざまあみやがれ(嘲笑)」と感じている自分がいるのは否めないところはある。

しかしSNSを始めとしたインターネットが信用できるのか、というと・・・・

コロナ対策禍、ワクチン禍においてSNSに垂れ流されていた情報も、全ては「巨悪」によりコントロールされているという短絡的な世界観だったり、「科学的」を自称するただの思い込みだったり、まあ劣悪なものが多かったし、今も多い。玉石混交なのだが、圧倒的に「石」が多い。

しかし、忘れてはならないのは、インターネットの情報が玉石混交なのは、今に始まったわけではない。
圧倒的に多い「石」の中から光り輝く「玉」を見つけ出すことに意義がある、というのが当たり前の接し方だったはずだ。

「リテラシー」とかいう大層なものがなくとも、ある情報に対面した際に、日常生活や読書で培った「常識(commonsense)」で感覚的に見極めたうえで、きちんと裏取りをする手間をかければ、大きな間違いはしないはずなのだ。
しかし、どうもそのあたりが、10年ほど前からなおざりになってきている。インパクトだけ強い「石」、要するに「玉」のパチもん(模造品)で満足してしまう人間が増えているようだ。

パチもんをありがたがる人々は、「現実は複雑系である」という当たり前がどうしてもわからないようだ。なんでこんなにも短絡的かつ条件反射的な判断を自身が行っていることに不安を感じないのか、本当に不思議で仕方がない

今回、最も影響力のあったSNSはyoutubeだと思う。
しかし、youtubeがコロナ対策禍において、どれだけ情報統制を行ってきたかは、今更言うまでもない。例を挙げばキリがない。
また、メタは実際に政府からの圧力で投稿を削除していたことをCEOが告白している。

つまり、SNSの情報など、意図すればどうとでもコントロールできる、水にただよう浮草のようなものなのだ。

つまり、オールドメディアもSNSも、昔からずっと「どっちもどっち」なのだ。
「何を信用していいかわからない」と嘆く人には、「自分の直感や、感じた違和感を大事にせよ」「その直感を磨くために研鑽せよ」「過去の類似事例を学び、考えろ」と言うしかない
多分、それしか方法はない。諦めてはいけない。

今回の件は、SNSを最大限利用することで大衆心理をどこまで変化できるか、という、選挙ゴロによる社会実験だった。

ちなみに奴らが使った手法自体は、特に新奇なものではない。

「既得権益」や「大人のいじめ」という気持ちよくわかった気にさせてくれる便利な言葉で、「勝ち組公務員」に対する人々の嫉妬心を刺激する。小泉純一郎や橋下徹(をはじめとした維新の人々)により使い古されてきた手法だ。
さらに告発者の不義(疑い)をことさらに強調して貶めるという、大衆の「八つ墓村」的情緒をくすぐる煽り。週刊文春を始めとした三流週刊誌により使い古された手法だ。

こんな古典的な手法により、大衆はいつものように熱狂させられてしまった。
ほんの10年か20年前のことすら、見事に忘れているのだ。
選挙ゴロの衆愚戦略は、見事に成功を収めた。
奴らに大きな成功体験を与えてしまった。

今回の件で、楊井氏が以下のように警戒している。

【要注意】このあと、選挙中のデマを取り締まろうという機運が高まることが懸念されます。総務省は検討していますし、諸外国にも一部そうした動きが出ています。日本でも偽・誤情報の脅威を強調し、「対策」を求めたがる識者がいます。選挙結果と偽・誤情報を安直に結びつけて語る言説(デマのせいでこの結果になった…etc.)には要注意です。

事実に基づかずに貶めるデマがよくないのは言うまでもありません(名誉毀損、ものによっては公選法違反)。他方、評価が分かれる問題も少なくない。言論空間の外部からの取り締まり(SNSの流通抑制を含む)は適切ではなく(恣意的な規制リスクが大)、言論空間の内部で検証・訂正しあうことが大事だと考えます。

そのためにも選挙報道のあり方を見直すときだと思います。選挙中の報道を自粛し過ぎです。選挙だからこそ、もっと人々が関心のある事実に迫り、冷静な対論の場を提供し、見解の相違を整理するジャーナリズムの実践が必要です。

私が関わったファクトチェック業界は残念ながら量、質ともに期待水準に遥かに及びません。取材・制作資源をもった伝統的な報道機関や新興メディアの出番です。まだ間に合います。

やり過ぎると、規制の根拠とされるかもしれない。という危機感だ。
それは陰謀論でもなんでもない。
👇でも触れたが、権力側は規制したくて仕方がないのだから。

でも、(上から目線はとても心苦しいのだが)自己顕示欲と刹那的な感情に支配されている衆愚に、このような危機感の共有を期待しても無駄なのだろう。
だからこそ、オールドメディアはいたずらにSNSを悪者にするだけの言説にとどまるのではなく、楊井氏がおっしゃる通り「見解の相違を整理するジャーナリズムの実践」を行って欲しい。
「安易な啓蒙」ではなく、「ジャーナリズム」を。
「刹那的な刺激」や「短絡的な結論」をSNSと競っても、勝てるわけがないのだから。

オールドメディア側に「信用が失墜している」という自覚が未だない、ということが、今回の結果の大きな一因であることは間違いない。
今度こそ本当に自覚して欲しい。反省して欲しい。

最後に、今回の件について、小林先生が短いブログで端的に述べられていた。
特に「若者は純粋で正しいという思い込みも、民主主義の崩壊要素だと言っておく。」は、非常に鋭い指摘だと感じた。
11月17日20時配信のMBS NEWSのこの表を見れば一目瞭然である👇

https://news.yahoo.co.jp/articles/e95eee8a53e6c80f278e1b74a19004c484b22b19

兵庫知事選の結果を見て驚いた。
とうとうSNSの陰謀論に、テレビ、新聞などの
大マスコミが敗北する日が明確にやってきた。

石丸から玉木から斉藤、SNSを駆使すれば大衆を
操作して、ソフトな革命を起こすことが出来る
ということになってしまった。

若者はテレビも新聞も見ないから、SNSでしか
情報を入手しない。
SNSは何者かの主観だらけで、客観性や公平性が
ない。
リテラシーを鍛える訓練など出来ていない大衆が
SNSを「信じる」と、既存マスコミは悪になって
しまう。

若者は純粋で正しいという思い込みも、民主主義
の崩壊要素だと言っておく。


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