知識人による卑怯な言説の一例

以下の発信を目にした。

内田じゅもく(by小林よしのり)氏がコロナ脳なのは小耳に挟んではいたが、あまり興味がない、というかそもそもこの人が何故こんなに持ち上げられているか分からない、という程度の認識だったので、なんとなく流していた。

なので試しに☝️の一部を拾い読みしてみた。
まあなかなかのコロナ脳ぶりで読んでて吐き気がした。
ああ、そういえば、当時は、同業者(医師)だけでなく、こういう「頭のおよろしい人々」とも分かり合えなさそうな感じだったよなぁ・・・という辛い日々を思い出した。
なんか、過剰な感染対策に反対する人は「コロナ・マッチョ」だそうですよ。
何だよ、めっちゃ多数派やん。公衆衛生ファシズムに賛同して、多数派として少数派に石を投げながら、さぞかしお気楽に過ごされていたんでしょうな。
付箋さんの言うとおりだ。なにが「つねに少数派」だよ、
カッコ悪っ!!!!

しかもこんなこと👇まで言っていた。
花畑脳すぎて、突っ込む気も失せる。
私もこの方も、日本国にて、同じ2020年11月を過ごしていたはずなのだが、ここまで世界の見え方が違うとは・・・・

 政府が市民に対して行動制限を指示することができる条件は一つしかない。
 それは政府の方が一市民よりも複眼的に事態をとらえており、何が起きているのかについて正確に理解しているということを市民が信じているということである
。政府はいかなる私念も、いかなる党派性も、いかなる偏見もなく、現実をありのままに見ているということを市民が信じているということである。
 コロナ禍の中で、市民的自由について強い規制を行うことができた国は、市民がさしあたりは政府が「全国民の健康を等しく配慮している」ということを信用した国である。逆に、強い規制ができなかった国は、市民たちが政府の公平性・公共性を十分には信じておらず、市民的自由の規制が、政権やその支持者にのみ利益をもたらし、一般市民に不利益をもたらすものではないかという疑念を政府が払拭し切れなかった国だったということである。
 日本は後者である。

(太字は引用先のまま)http://blog.tatsuru.com/2020/11/04_0759.html

それにしても、政府を信用、ですか・・・・
・・・・今日、👇のような記事をみた。香港の民主化運動は息の根を止められつつあるようだ(止められている、と言ってもいいのかも)。
普段少数派を気取って民主主義を守るかのような発言をしてるくせに、非常時には全体主義的な多数派に回る人間は、こうやって逮捕されて有罪判決を受けることなどないのだろう。
「この政府は信用できる」と嘯くのだろう。
なりふり構わず、うまく逃げ切るのだろう。

以下、手前味噌な引用👇

あの頃に彼らの多くが見せた、臆病な、思考停止した、他者に対する想像力を著しく欠いた姿を見てしまった以上、以前のように信用はできないし、信用してはならないと思ってしまう。彼らは、非常時には全く頼りにならない人々と考えておいた方がいい。せいぜい平常時に表面的に付き合うに留めておいたほうが身のためだろう。

この方だけでなく、非常時に卑怯な言説を垂れていた人間が「リベラルを気取る知識人」に多いことも、今回の兵庫県知事選の惨状を引き起こしたんじゃないの?と感じる。
つまり、信頼を失っているのはオールドメディアだけではない、あんた達もだよ、ということだ。

まあ、「保守を名乗る知識人」にも、こんな奴らがいたが👇
「専門家会議」の功績を貶めた学者・言論人、って・・・
これは本当に失望したわ。


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