ちょうど2年前に発せられた「医療者の暴言」から考えたこと
パソコンの中に残っている文章を眺めていたら、面白いものが出てきた。
2020年12月21日、つまり2年前の昨日、日本医師会などが発表した暴言だ。当時の私は、「これは医療の黒歴史として記憶しておかねば」と思い、コピペして残しておいたようだ。そこには当時の私が残した絶望感に満ちた感想が付してあった。
この暴言、今も医師会のHPに残っているのかもしれないが、バカバカしすぎて調べる気にもならない。
折角なので、忘れないように、ここに残しておく。
当時は怒りと絶望感しか感じなかったが、今読むと同業者どものあまりの自己陶酔ぶりに苦笑するしかない。この文章をいい歳した大人がみんなで考えて作ったんだねぇ・・・いやあ、困ったね・・・
医療従事者の多くが、医学以外のことを知らない、「忙しいから」勉強する気もない(彼らは、世の中の数多の職業の中で、医療者が最も責任が重く、かつ忙しい、と考えているのかもしれない)。にもかかわらず、その無知を恥じることもなく、あろうことか人々に上から目線で講釈を垂れる。そしてその講釈を有難がられることで、さらに舞い上がる・・・あまりにも愚かだ。
医療者は「他分野の考え方について学ぶ必要があること」に気づく感性を身に着けなければならない。医療者が考える「客観性」は、実は医療者の主観でしかないかもしれない、と立ち止まる姿勢が必要だ。
一方で、医療が政治に影響力を持ちすぎていること、そして政治が医療に対してあまりにも無批判であることが、医療側の勘違いを助長している。
この勘違いを抑制するためには、複数の専門知を批判的に検証し、統合し、調整することが必要だ。その基準は「常識」、「慣習」や「因習」等ではなく、先人によって積み重ねられてきた歴史や思想に裏打ちされた「常識」、ここに置くしかない。常識を身に着けるには、好奇心と疑問を忘れず、謙虚に学び、各々の日常の中で考え続けるしかない。我々はその営みを怠ってはならないのだろう、専門知の暴走を食い止めるために。