自分にとっての優先順位①「親」という立場にあること

新年だから、というわけではないが、改めて自分にとっての優先順位をまとめておきたいと思う。
気づけばもうすぐ51歳だ。
でも、我が子はまだ8歳と5歳。さすがにまだ手が離れる年齢ではないので、できる限り彼女らを最優先にしたい。
そう思う最大の原動力が「情」にあるのは言うまでもないことだが、もちろんそれだけではない。

彼女らは私たち夫婦の意思でこの世に誕生させられた。そこに彼女らの意思は一切介在していない。
反出生主義者のようなことを言うつもりはないのだが、この変な世の中では、誕生していなければ経験する必要のなかった苦痛を味わうことになるのはほぼ確実だ。そして、与えられる苦痛を上回る達成感は、残念ながら誰しもが得られるものではない。
なので、もし新生児に意思があるとすれば、そもそも「産まれたくなかった」と思っていた可能性もあるわけだ。
そうである以上、我々は彼女らをこの世に誕生させた責任を果たさなければならない。少なくとも現代の日本においては、子は単なる「労働力」ではないのだから。
逆に、彼女らには我々に対する責任は一切存在しない。なので、もし親を捨てたくなればいつでもどうぞ、と思っている。彼女らが「捨てる」と判断するに至る状況を作り上げたのは我が身なのだから、その時は甘んじて受け入れるしかないだろう。

人生において苦痛を与えられることは防ぎようがない。それを上回る達成感が得られるのなら幸せなことだが、どうしても運や周囲の環境が邪魔をする。
達成感に対する渇望を自己の将来を切り開くエネルギーにできる人間もいるが、大半の人間はそれを嫉妬や、諦念や、世間内の卑小な争いに向けることしかできない。
いや、それでも外に向けれるのならまだいい。最も不幸なことは、エネルギーをひたすらに内に、自己の否定に向けることだ。人間にとってこんなに不幸なことはない。
だから、どういう状況であれ安心感や満足感(慢心、ではなく)をつかみ取り、その上で自ら思考と決断を繰り返しながら、自身の人生を切り開いていける「大人」になってくれたら、言うことはない。まあ、これが一番難しいことなのだろうけれど。

また、彼女らを優先するのは私自身のためでもある。彼女らをとりまく世界に関わることで、私がこれまで知ることのなかった(もしくはすっかり忘却している)価値観に触れることができる。彼女らの価値観は否応なく自身の価値観が反映されていることも多く、自分自身について気づかせてくれることもある。
なので、彼女らは、私自身の視野を広げるために、非常に貴重な機会を与えてくれる、誠に有難い存在なのだ


私が作者買いする数少ない作家の一人に勢古浩爾氏がいる。おそらく、かなり影響を受けていると思う。
この方の「会社員の父から息子へ」という本がある。この本は勢古氏のエッセンスが詰まった本当素晴らしい内容なのに、なぜか絶版で電子化すらされていない。もったいない・・・

筑摩書房 会社員の父から息子へ / 勢古 浩爾 著 (chikumashobo.co.jp)

この本には「普通の大人」が生きていくための金言が詰まっているので、全てを引用しているときりがない。
なので、まえがきの後半だけを引用させていただく。

戦後生まれの人間が、はたして、父母として合格だったかどうかはわからない。
少なくともわたしは、父として合格とはとてもいえなかった。
学歴や知識は両親を遥かに凌駕した。生活もなんとかできた。
しかし、親としては両親に遠く及ばず、父と母の子としてもダメであった。
二人の息子を授かった。
父としてほとんどなにも語らなかった。語ることもできなかった。
父は子に向かうと、意外と気後れするのだった。
自分の性格からくる人間関係の齟齬は若年からの宿痾だった。
子どものときに指摘されたわたしの無口は、
この年になっても、結局のところ直らなかったといわなければならない。
こんなわたしが「父」なのか。
息子たちにしてやれることなら多少はあったが、語る内容などあるはずもなかった。
見せられるような「背中」もなかった。
自分で考え、自分で行動し、自分で成長していけ、と思った。
人間は結局、そうして自分の力で生きていくしかない。
その可能性を広めるために、様々な経験をさせたいと思ったが果たせなかった。
大した内容ではないにしろ、語りたいことがなかったわけではない。
大したことではないにしろ、してやりたかったことがなかったわけではない。
世の父親はみんなそうだろうと思う。
会社員として、一人の男として、あるいは芥子粒のような一個の人間として、
息子たち(娘たち、といってもおなじだ)に伝えたいことがなくはなかったはずである。
伝わるか否かの先を放棄しているにしても、伝わってほしいというのは願いである。
いいたいことは、たったひとつ。
生きる場所を得て、勁く、やさしく、無事にいきていってもらいたい。
惜しみなく働き、惜しみなく愛し、惜しみなく生きてほしい。
きみたちとも、いつか訣れる。

「勁く」は「つよく」と読む。ピンと張りつめた糸のような「つよさ」、を表すようだ。
あれ?「自分にとっての優先順位」はどこへ???
・・・・②に続く。

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