序文 ハムストリングスの肉離れ(Hamstring strain injury: 以下HSIと表記)は瞬発的なスプリントが必要とされるスポーツにおいて、復帰までの日数が長い最も典型的な怪我の一つです。また、HSIの受傷歴を持つアスリートはたとえリハビリテーションを完了し、競技復帰の了承をアスレティックトレーナーや他の医療従事者(以下スポーツ医療従事者)から得たとしても、ハムストリングスの構造と機能において欠陥が見られることが多々あります。ハムストリングスの構造・機能の欠陥によってHSIが引き起こされたのか、あるいはHSIの結果としてそういった欠陥が生まれたのかどうかに関わらず、この現状は競技復帰に現在使用されているリハビリテーションのプロトコルがそれらの問題を改善するのに必要十分でない可能性を物語っています。このことから、HSIの受傷歴がある人は再発リスクが高まってしまう可能性が考えられます。プロなどのハイレベルなスポーツ環境において、アスリートがベンチに居座ることはチームに対する経済的負担や選手のパフォーマンス低下にも繋がる恐れがあるため、こうした事情によってリハビリテーションの計画が変更され、時期尚早であっても競技復帰に至ることが考えられます。リハビリテーションを行うスポーツ医療従事者などはそうした事情により、リハビリテーションの経過や最終的に競技復帰させる権限・影響力などが低下し、結果として選手は先述したハムストリングスの構造的・機能的欠陥が残ったままになってしまうのではないかと考えられます。 スポーツ医療従事者の視点におけるHSIのリハビリテーションは、病態生理学の理論に基づいた生体組織の治癒期間を考慮して進められることもあれば、ある一定の基準を満たすことによって次のステップに進むこともあります。一方で、筋肉組織が自然治癒するタイムフレームは存在するものの、その大部分が動物をモデルにした研究を根拠としており、いまだにそれらのモデルをリハビリテーションの経過に当てはめるのが適切なのかということは明確になっていません。こうした中、最近では組織の治癒のタイムフレームに頼るよりも個々人の回復具合にあったリハビリテーションを行うことができるということもあり、基準に準じたリハビリテーションのプログレッションが人気を集めています。しかし、この近年の関心の増加を受けているにも関わらず、具体的な基準を用いたHSIのリハビリテーションのプログレッションは厳しく精査されていません。 HSI後の競技復帰に関する基準はリハビリテーション進行の基準よりも多くの注目を浴びてはいますが、近年発表されたシステマティックレビューによれば、競技復帰の基準はエビデンスに乏しいという結論が出ています。しかし、そのシステマティックレビューでは多様な基準を用いた論文による競技復帰期間と再発率は調査されていませんでした。多様なリハビリテーションのプログレッション方法と競技復帰基準は、それぞれ異なった競技復帰期間やそれに付随する再発率を生み出すと考えられるため、これら、調査することによってスポーツ医療従事者がエビデンスに基づいた判断を下せるのではないかと言えます。したがって、このシステマティックレビューは、HSIのリハビリテーションのプログレッションと競技復帰の判断基準の理論的根拠を明らかにし、またそれに伴う競技復帰期間と再発率を明らかにすることを目的としました。論文概要 背景 HSI後のリハビリテーションのプログレッション並びに競技復帰判断は安静期間と再受傷のリスクの兼ね合いを考慮しなければならない為、スポーツ医療従事者にとっては困難なものとなりえる。 HSI後の競技復帰のプロセスには注目が集まっているにも関わらず、 リハビリテーションのプログレッション方法や競技復帰させる為の基準、及びそれらに付随する競技復帰期間や再発率についてはあまり関心が注がれてこなかった。目的 このシステマティックレビューは、HSIにおけるリハビリテーションのプログレッション並びに競技復帰基準を明白にするとともに、復帰に要した日数とHSIの再発率を調べることを目的とした。方法 このシステマティック文献レビューはMEDLINE、CINAHL、SPORTDiscus, Cochrane Library、Web of Science および EMBASE のデータベースを使用して行われ、急性のHSI(受傷から10日以内)の被験者が対象で、なおかつ、競技復帰期間と最低6ヶ月の追跡調査による再発率の検証が行われた論文が文献レビューの検索で明らかにされた。それぞれの論文では一般的なガイドラインと詳細なリハビリテーションを進めるための基準が明らかにされた。加えて、競技復帰の基準としてパフォーマンステスト、臨床評価試験、等速性ダイナモメーターあるいはアスクリングH-テストのカテゴリーにそれぞれ分類された。結果 HSIの受傷からMRIもしくは臨床診断によって10日以内に急性HSIと診断された合計601件を対象として9つの研究が含まれた。9つの論文のうち、全てに共通していたのは、患者個々人の痛みの度合いがリハビリテーション進行の観察項目に使用されていたということであり、同時に競技復帰基準に最も広く実施されていたのは臨床検査とパフォーマンステストだった。平均的に競技復帰期間が最も短かった論文は、等速性ダイナモメーターが競技復帰判断の一部として使用されていたもので、再発率が最も低かったのはアスクリングH-テストを復帰基準の一端として使用していた論文だった。結論 このシステマティックレビューではHSIにおいて、リハビリテーション進行の基準として痛みの軽減が重視されており、競技復帰の基準に関しては主観的な臨床診断方法やパフォーマンステストに依存していることが明らかとなった。これらの結果は、より客観的、臨床的に実用性のある基準による、エビデンスに基づいたリハビリテーション経過過程のプロセスの必要性と、それらの実施によって競技復帰判断に伴う基準の曖昧さを低減できる可能性を示唆している。
まとめ このシステマティックレビューでは、HSIのリハビリテーションの進行が痛みのない範囲内で行われていることと、痛みの緩和が最重要視されていること、また、主観的な臨床診断およびパフォーマンステストが競技復帰の基準となっているということが明らかにされました。また、更なる検証が必要ではありますが、アスクリングH-テストを評価基準に組み込むことは再発率を低める反面、競技復帰期間が長くなる傾向があると思われます。対して、等速性ダイナモメーターを競技復帰基準の判断材料の一部として利用することは臨床診断とパフォーマンステストのみに頼る手法と比べて競技復帰期間と再発率との理想的なバランスの取れた評価基準と言えるかもしれません。これらの結果はより客観的で臨床的に実用性のある基準の必要性を示しており、それによってエビデンスに基づいたリハビリテーションの進行や競技復帰判断に伴う曖昧さを低減できる可能性を示唆しています。
その他
リハビリの観察項目 競技復帰判断の基準 アスクリングH-テストは被験者が仰向けの状態で胸と計測を行わない方の足が固定され、計測を行う方の足は膝屈曲を防ぐため、固定具を装着した状態で行われた。さらに、被験者の股関節角度を計測するために股関節側面に電子ゴニオメーターが設置された。股関節の最大受動的伸展角度が計測された後、被験者は最大下で一度足の振り上げ動作を練習として行い、最大の速さで振り上げ動作を三回連続で行い、それぞれの角度が計測された。最終的に受動的最大関節可動域と能動的最大可動域を記録し、能動的可動域運動中に感じた不安感や痛みをVAS法によって0-100を被験者が評価した(2)。
参照 1. Hickey JT, Timmins RG, Maniar N, Williams MD, Opar DA. Criteria for progressing rehabilitation and determining return-to-play clearance following hamstring strain injury: A systematic review. Sports Med. 2017;47(7):1375-1387. 2. Askling, C.M., Nilsson, J. & Thorstensson, A. A new hamstring test to complement the common clinical examination before return to sport after injury. Knee Surg Sports Traumatol Arthrosc 18 , 1798–1803 (2010). 筆頭著者:高田ジェイソン浩平 編集者:井出智広、姜洋美、岸本康平、柴田大輔、杉本健剛 、高田ジェイソン浩平、高萩真弘、水本健太(五十音順)