「雰囲気を壊すな」の問題

急に閃いたので書いてみます。

昨日、私はまた、彼の嫌なところをすぐに注意できませんでした。
それは「その場の雰囲気を壊したくない」といういつもの私の経験則から来るものです。

でも、私の心の中をざわつかせていることは間違いなくて
そもそも雰囲気など壊されているのです。
なのに、「彼がその場で醸し出しているゆかいな雰囲気」を優先してしまった。

ここまで考えた時、いじめも同じだなと思ったんですね。

いじめている人はなぜか楽しそうです。
そう、酷いことをしていることを覆い隠すかのように「楽しんで」いる。
その「楽しさ」の醸し出す雰囲気に周囲は飲まれてしまう。
どんなに行為が無茶苦茶でも、「ほら、楽しいだろう」という空気を演出することで、「酷い行為を止める」ことが難しくなるのです。

いい雰囲気なのに、水を差すなよ、というわけです。

これが「嫌われてもいい勇気」という言葉がもてはやされる原因でもあります。なんで嫌われなあかんねん、むしろ褒め称えられるべきだろうが。
周囲が勇気を「嫌う」のが問題なんじゃないのか。

と思った次第。

今、世界で起きていることも同じかもしれません。

戦争でお金を儲けている人の「楽しさ」を何よりも優先している。
それに「水を差す」ことを嫌がられている。

酷いことをして楽しんでいることのほうがおかしいのに
水を差すことがおかしいかのように操作されている。

それは違うよ、やめようよ、見てて楽しくなんかないよ、と
言った時
というか、やってる本人以外の人は言って当たり前じゃないのかな。

子どもに叱るように、ちゃんと真顔で「それはよくないよ」と
言うことに、なんの勇気がいるのか。
そこに嫌われるリスクがあるという思い込みのほうがまずいのではないか。

おそらくこれは日本だけではない気がします
「雰囲気を壊すな」というもの
その正体ってなんだろ

俺らの楽しさ(どんなに残酷なことをしていようが)に文句言うな的な

「楽しさに酔う」ことでしか得られない自己肯定感なのか

冷静に「それ、違いますよ」と言える人にとても憧れています


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