奇跡・・・のようなこと・・・
今朝、インスタで私は「昔の私に教えてあげたい」と投稿した。
そして今、「マジで教えてあげたい」と思う。
今日、京都で斎藤学先生のオープンカウンセリングがあったのである。
私が先生のことを知ったのは(記憶の中では)中学生の時、図書室だった。
30代で産後鬱になり、いよいよ自分はおかしいのではないかと疑い始め
地元の心療内科で間違った診察を受けた後
「斎藤先生の関連の病院はないものか」と問い合わせ
大阪の依存症に力を入れている精神病院を紹介してもらい
さらにIFFというところの電話カウンセリングを申し込んだ。
なんでもとことんやるのが私である。
自助グループを探してネットを彷徨ったり
ワークショップに行ってみたりした。
鬱病なのにエネルギーは無駄にあったから、色々とやりすぎた感はある。
~そして記憶も曖昧になっている~
東京まで行ったこともあるのだが、何をしたのかしなかったのか
結局斎藤先生には会えずに帰ってきたような・・・程度で
そこから10年以上、遠ざかっていた。
子育てが終わり、離婚もし、何度も職場を変えた。
で、何度目かの職場で、私はまた斎藤先生に出会ったのだ。ある本を通じて。
気持ちがそっちの方向にいくと、情報も色々と調べてしまう。
インベカオリ著『伴走者は落ち着けない―精神科医斎藤学と治っても通いたい患者たち―』という本を読んだこともきっかけになったし
斎藤先生のYouTubeを見て、「今の私なら会いに行けるかもしれない」と思うものがあった。
前置きがずいぶん長くなってしまったが、かいつまんで経緯を語るとこうなる。。。
つまり、行ってよかったという話(文章力な!)
人は変化するのである。
当時、ただ怖くて畏怖の対象であった斎藤先生が、私の経験値によって、少し身近になっていた。
30歳の私には、斎藤先生のもとへ通う人たちは、パワフルで、頭が良くて、お金持ちで、世界が違う人たちだと思っていた。
今でもそう思わないこともない(笑)
だけど、そこから20年の私のすったもんだの経験を経てみると
「私はみなさんと同類かもしれない」としか思えなくなっていた。
有名な精神科医ならほかにもたくさんいらっしゃるけれど
ここまで私が心惹かれる理由が
なんとなくわかってしまった。
そして、今日一日、たくさんの話を聞いて
自分自身が丸ごと肯定された気持ちになって帰ったのだった。
これが安心感ってやつか?
親にもらえなかった「アレ」である。
直接話したくても、話したい人が遠くからかけつけていらっしゃるわけで
セミナー後の3分だけお話しできたわけだが
それでも十分であった。
何が起きたのか、今もまだ不思議な感じがしている。
こんなことが私の人生に起きるなんて、である。
パズルの一部のピースがばちっとハマった瞬間でもあった。
人生に無駄なことなどひとつもないとはよく言うけれど。まさに。
そこ、「言語化はよ」であるが、ちょっとまだ言葉にできない。
奇跡は起きるのだ。
#奇跡 #斎藤学 #インベカオリ #オープンカウンセリング
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