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なんでもお金に換えたがる人たち

「アメリカでは子どもでもクッキーを売ってる」という話を
私は学生時代から聞いていました。
アメリカには行ったこともないし、そういう風景は実際に見ていないのですが、確かに、映画などではそういうシーンがあったような気がします。

資本主義が極まった国だなあと今なら思いますが
「お金について子どもの頃から理解しているんだ、すごいな」と
若い私は思っていました。

今の子どもたちはもしかしたらそういう教育を受けているのかもしれませんね。

ほんの少し前、働いていた福祉関係の職場で
上司がまさにそういう人でした。
「これをこうやって売ればいいのに、簡単に儲かるのになんでみんなやらないのかなあ」という雑談をよくしていました。
そして、「有名になること」を何よりも求めていました。
福祉の世界で一旗あげたい、みたいな野望をお持ちでした。

私はその上司に退職を勧められました。
上司をよしよししてくれるお局様に私が嫌われたからです。
仕事ができるとかできないじゃない。
自分を持ち上げてくれるか持ち上げてくれないか、で人を見るのです。

私はそこを退職し、新しい福祉の職場で働いていますが
そこでは誰も「有名になりたい」とは思っておらず、淡々と目の前の仕事をこなしていて、私はとても重宝されています。

この話、実は前回の「イベントで机を貸し渋りされた」ことにつながっていて、そのイベントの主催者の方も、「子どもたちが作ったものを売ればいい」ということを実行されている人なのです。

元上司と同じく、「対外的に”できる人”」です。

最初はわからなかったんですね。
たしかに「いい人」ではある。
利用者さんにとっては。その人の支援を必要とする「弱者と言われる人」にとっては。

でも、自分を持ち上げてくれる人、自分の利益になる人をキャッチする目がある。自分の利益にならない人を簡単に安く扱う癖がある。

それってやっぱり「お金儲けに聡い」からじゃないのかな。

「お金に替えればいい」「価値をつければいい」
支援というものをそういう思考で見ている。

逆にいうと、福祉や支援を「そのままだと価値を認めてもらえないもの」だと信じているのだと思うのです。
「何もしなければ、支援をしている自分に価値がないように思う」のでしょうか。

今はとてもそういう風潮にみんなが流されている気がしてなりません。

お金にすればいい、そしたらみんなが見てくれる、わかってくれる、と。
ただその裏側に「支援をしている私の価値もわかってほしい」が引っ付いていることに
気づいている人は少ないです。

誰もが自分をよしよししてくれる人が好きだとは思うけど、「認められたい」も誰にでもあるけど、何かをしようとする時に、あからさまに人を値踏みしたり、選別したりするのって、違う気がするなあ

世界が「自分の得かそうでないか」にきれいに分けられていて
その人の世界を満足させる人でなければ、めちゃくちゃ居心地悪くなる感じ。

私のように、誰彼となくフラットに接して、上司や主催者だからって忖度しない性格の人間はまっさきに「居心地悪く」なってしまうのです。

お局様や上司に嫌われた時と今回の事件がとても似ているなあとふと思って、「あ、どっちもお金が大好きな人だった!」ってなったんですよね。
宣伝すること、有名になること、それが「福祉や支援にとって必要」とは言ってるんだけど、それには異論はないけど
その割に、周囲の人たちへの扱いは「雑」なのです。

元上司に嫌われて退職させられた人、一年で3人いましてね、異動させられた人も一人。かなり多くないですか。

どんなに大きなことを成し遂げても・・・なんだかなあ・・・

本人はまったく自覚がないのがまたどちらも同じ。
世間的には「すごいことをしているいい人」です。
そういえば、過去にも、そんな人に嫌われたことがあって
「自分の何が悪かったのかな」と反省したこと、ありました。

私には向いていないのです。
そういう考え方とそういう生き方が。
そして、もし私が何かのきっかけで、お金が手に入り、それが自分の実力だと勘違いしていたら、そういう人間になってたのかなと思うと
成功せずに生きてきたことは、悪いことではなかった、と。

だから今、お金儲けする人に惑わされて、自分がちっぽけな人間に思える人に言ってあげたい。
それより大事なことを守ってくださいって。

福祉や宗教や支援を、そういう風に使うことを自分の心は求めているのか、そうでないのかを自分に問うてみてください。

そして、雑に扱われるところからは逃げてくださいね。
大切にしてくれる場所は必ずあるから。
自分を大切にしましょう。

上記の人たちは悪人ではないのです。いいことをしていらっしゃるのは間違いないし、きっと救われている人たちがいる。私がそういう考え方に馴染まず、そういう人たちと合わなかっただけなのです。

「違う」と思うことは、悪いことではないです。
その違いを知って、自分はどう生きるか、何を大事にするかがわかる。
そしたら、きっと仲間が見つかります。

私にもやっと自分が違和感を感じなくて済む仲間が増えてきました。
それまではちょっと苦労しました。
福祉等支援の分野にはどうしても「認めてほしい」が滲み出過ぎている人がいるもので、そこにお金儲け志向が乗っかるとそうなっちゃうのかも。
保険会社でその考えを発揮すれば何の問題もないんだけどね。そういう人たちばっかだし。

「どんな子どもたちもお金を稼ぐことができれば、自分に自信が持てると思うの!」とイベントの主催者はおっしゃってました。
まさに・・・アメリカでお菓子を売る子どもたちの姿を「よし」とする価値観。

わたしは子どもたちには労働より「遊び」や「暇」が何より大事だと思っていて
お金が絡むと純粋に遊べないからよろしくないなあと思ってる人です。

そりゃ合わないわけだ。
わかった時点で離れればよかったんだね>自分

いい勉強になったし、こうして記事も書けました。
ありがたいありがたい。

自分の持っている価値観を大事にして、生きていきましょうね。
たとえ少数派でも、受け入れてもらえなくても。

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