
なぜひとりがいいのか
年の瀬です。
こんにちは。
今年は腹痛に始まり腹痛に終わる(笑)
ついにコーヒーがダメになったかもしれません。
しかし、おかげで「あ、もう掃除も無理だな」ってことにして
ゆっくりと過ごすことができています。
私が離婚した理由の一つは「独身の時にできなかった色々なことに未練があったから」です。
育った家庭が厳しかったから恋愛というものを本気で終わらせることなく
結婚をゴールにして、そして結婚しました。
つまり、傷つく恋愛というものをしなかったんですね。
片思いはあっても。
本気で人間関係の諸々に突っ込んでいくことをずっと諦めていた。
その未練が自分をひとりになることに走らせたのかなと、10年経って分析しています。
みなさん、家庭があるからって諦めてること多くないですか。
自分の未来、本当にやりたかったこと、世間的には褒められない願望。
誰もが「夫が」「子どもが」という言い訳で見ないふりをして生きているのではないかなと(まあ、自分がそうだったからなんですけど)思います。
でも、そうやって自分の願望やエゴを満たさないまま生きていると
うっかり他人に厳しくなりますし
「あの人だけずるい」などと羨ましいが妬みに変わったりします。
そうすると意地悪が始まるわけです。
私は、意地悪を減らす運動をこっそりやっているので
意地悪の原因に対してはちょっと本気で厳しいです。
自分が満たされないというのは無意識ですから
意地悪も無意識なんですね。
勝手にやっちゃう。勝手に口がすべっちゃう。
人を気づかないうちに傷つけてしまう。
「家庭があるから」の言い訳で
意地悪な人間になるぐらいなら、一人になったほうがいいよね。
そして、思いっきり自分を満たして
それから誰かとつながればいい。
自分と社会との間に「家族」という防波堤を作って
その防波堤を守ることだけに必死になって
家族以外の他者に冷たくする。
あるいは利用する。
そういう側面がはっきりと現われてきているのが現代だなと思っていて
不倫とか性加害というのも、そのひとつです。
自分と自分の家族だけが「人間」として存在していて
それ以外の人間を「道具」にしている。
特に男性はその傾向が強いです。
それはともかく。
なので、自分の欲をしっかりと満たしてあげることが
何よりも大事だと私は思います。
そうすれば「先生」という職業の人におかしな憧れを抱かなくなるし
お金持ちはいい人だという幻想もなくなりますし
カップルになれるのは執着を手放した人だ、みたいなものにも
惑わされなくなります。
経験しないのに、その辺の人の言動を信じて発信してる人が多すぎ。
私が恋愛するのを嫌悪していた母親も、恋愛をしてこなかった人で。
その毒から抜けるの大変でした。
てか、そういうものを浴びて育ってしまい、そのまま「いい結婚」になだれ込み、いい母親、いい妻になり、抑圧された自分の感情のはけ口を間違えている人たちがこの世の中を構成しています。
意地悪な世界が繰り広げられています。
抑圧が一番よくないんだよ。これは本当。
小さなことからでいいので、自分の欲望を、願望を叶えていきましょう。
「ああ、今日もやりたいことひとつできたな」と思えることが
自分と周りを救います。
他人をいじめることは、欲ではないですよね。そんな欲は存在しない。
いじめたいという心の裏側に、もっと違う欲があるはず。
「あの人が持っているものが欲しい」とか。
じゃあ「あの人が持っているもの」を手に入れればいいんです。
鞄でも、恋人でも、友達でも。
全力でそれを「自分の力で」取りに行く。
その先に、本当の満足があります。
わたしは、ADHD傾向にあるので、どうしたって自分のペースを守りたい。
そして、そこに他者を巻き込みたくないんですね。
いつ寝ても、いつ起きても、誰にも何も言われたくないし、誰も我慢させたくないし。食べたいものも自由にしたい。
もしそれを楽しんで一緒にしてくれるパートナーが見つかればいいな。
(あ、これは今できた願望!)
なんでも本気でやっていれば
お金は幸福と関係ないことがわかるし、男にモテても別にどうってことないこともわかるし、学歴があってもそれが何か、ってことがわかります。
野球がうまくたって別に、ですよね。
そこに自分にとっての価値があればいいだけの話。
自分がどうしたら満たされるのかを知りたければ
小さな望みを叶え続けるしかありません。
「あ、これじゃなかった」「これも違った」
と試しているうちに、「こ、これは!」というものに出会います。
最初からわかる人なんていないんじゃないかな。
好きなことをやってるつもりの人でも、「あれ、続けていたら本当の望みのほうが叶ってきたぞ」になった人を私は何人か観察しました。
表面的な評価が欲しければがんばってもらいましょう。
その先になにがあるか、しっかり見届けましょう。
羨ましがってないで、取りに行きましょう。
アラフォー以上で、めっちゃ夢を語る人いるじゃないですか。
現実を体験してこなかった人。
「不登校の子どもって将来が楽しみやねえ」とか「発達障害って才能あるんやね」とか「仕事なんて選ばなければなんでもあるよね」とか
私からすれば「知らないって幸せよね」という感想しかありません。
あ、そっちじゃない?
ちょっと足を突っ込むだけでわかることも、テレビやネットの情報でわかったつもりになってる人が御託を述べている。
それはお金や結婚に価値を与えているテレビやネットを信じてるってことです。
自分で自分を幸せにしようと努力している人は、いらんことを言わないですよ。これは本当。
満たされてない人ほど、わかったようなことしか言えないです。
自分自身を満たすこと。自分で自分を幸せにすると決めること。
子どもや夫や孫の世話に忙殺されているとできないことです。
彼らはひとりでも生きていけるのに。世話する必要ないのに。
自分の世話をしましょうよ。
人生をあきらめないでね。
では!