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自分を知り、選択肢を狭める決断を

私的に今期のドラマのイチオシは「全領域異常解決室」に決まりました。

藤原竜也はやっぱりよい!

波乱万丈の日々を過ごしてきた私が
本当に落ち着いた気持ちで生活できるようになってきました。
状況はそんなに変わってないのです。
ただ、ひたすらセルフケアを続けてきただけです。

それが積もり積もってやっと「自分を大事にすること」がわかってきました。

決して贅沢をすることではなく
自分の特性を善悪ではなく、フラットに把握して
自分が「嫌だ」と思うことはできるだけやらない、という
とてもシンプルなことでした。

嫌なことも我慢しないと、という声がどこからか聞こえてきそうです。
私の頭の中にもそういうのはありました。
でも、その我慢が実を結ぶものなのかどうなのかは
まったくわかりません。
自分に意地悪する人に対して「我慢」で対抗しても
決して状況はよくならないし、むしろ悪くなることのほうが多いのでは
ないでしょうか。

ある人が社会的に善人で善行を積んでいる人だとみなされていても
自分にとってその人が「合わない」のであれば
わざわざその人に媚びたり合わせたりする必要などないのです。
それより、自分が一緒にいて楽しい人と時を過ごすことのほうが
ずっと有意義ですよね。

何度も何度も「違和感があるけど、それは私がおかしいのかもしれないから、我慢してちょっとこの人を観察してみよう」と思っているうちに、自分の心にどんどん澱が溜まっていき、最終的に「もう絶対無理」になるところまで行ってしまうことがありました。

最初の違和感で「やばい」と思う感性を、自分が信じ切れなかったためです。

社会的な地位とか、立派なことをしている人だから、ということを慮ることで、自分自身の声を無視してしまっていたことが多々ありました。
その失敗をもう繰り返さない。
そう決めたら、肩の力が抜けました。

そして素のままの自分を認めてくれる場所に巡り合えました。

負担になるお付き合いは、同性であれ異性であれ、ちょっと置いておく。
私はずっと寂しい気持ちを抱えていたので、親しくなった人を自分から切ることがなかなかできなかったのでした。

それができるようになった時から、少しずついい感じに変わってきたような気がしています。

ただ離れる。そっと距離を置く。
そのことが自分をどれだけ助けることか。

まあでも、それがわかるまでに、何度も何度も人に振り回されてダメージを食らい続けるしかなかったのですけれど。

やるだけやったから飽きたのかもしれませんね(笑)

いろんな世界に憧れて、あっちに行けば素敵な人に出会えるかなと思い、
そっちに行けば面白い人に出会えるかなと思い
そうやって彷徨ってきたけれど
人に揉まれる中で自分という輪郭がよりはっきりして
私はこういう人たちとともに生きていきたい、というのが
わかってきたという感覚です。

自分を守るために家族という輪の中に自分を閉じ込める、というのとは
全然違っていて

自分の感覚と合う人を世界中でつながりたい、みたいな?
自分と合う人は少ないだろうけど
(血縁だからって自分に合う人だとは限らないわけで)
もうそういう人とだけつながっていけばいいなと
思うようになりました。

あっちの水はおいしそうに見えるけど
なんだか楽しそうに見えるけど
自分にとって楽しいわけでもないし、自分が飲んだらまずいんだよきっと。

そう感じる自分を信じることが、自分を大事にすることなんだな。

こうしてブログ発信をするのも、この世界のどこかにいる共鳴する誰かと
出会えたらいいなと思っているからで
直接つながれなくても文章で何かが伝わればそれが何よりの幸せになります。

人を拒否することは悪いことだってずっと思っていたし
私自身が拒否されて嫌な気持ちになることが多かったから
自分はそういう人間になりたくないなと思ってたんですね。
でも、拒否らなくてもいいんだし、距離を離せばいいだけだしって思ったら
ずいぶん楽になれたかな。

無理しない、無理しない



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