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癒しの脅迫

「癒し」とはなんだろう。
誰も深く考えたことがないのではないかと思うほど
この言葉は恐ろしく
日本中を練り歩いている

20代の頃から、自分というものがわからなくなり
他者と切り離された感覚が拭えないため
できる限りの本を読んだり、人に会ったりしてきた。

しかし、癒しとは「自分に疑問を持ってしまい、生きづらいと感じてしまった人」に必要なものであって
取り立てて必要がない人や、医者に行けば事足りる人もたくさんいる。
癒さなくたって成功している人は大勢いるのである。

にもかかわらず、「癒しが必要」と思うほどに疲れてしまったり、トラウマを背負っている人に対して、「癒されることで成功できますよ」という甘いささやきは、つまり「癒しの脅迫」ではないのかと私は思う。

小説を読むと、癒されないままの主人公がたくさんでてくる。
私は大人になるまで小説や物語に接する機会が多かったので
どちらかというと、「癒されて幸せになりました」などとブログで謳っている人のほうがファンタジーのような気がしていたし、今もそうである。
小説の中で、癒しなどと無関係に生きている子どもや大人たちのほうが
ずっとリアリティがあるのではないかと私は思う。

離婚した後、さらに「癒しの脅迫」が目につくようになった。
離婚経験のある人の話を読むことで、なにか心を温めることができるかもしれないと思って、探してみると
「離婚してすぐ再婚できました!その方法はこちら!」みたいなことになっていた。
おいおい・・・それって結婚している時から付き合っていただけなのでは・・・と思ったりしたのだが
とにかく「自分を満たしたから」だとか「自分の傷を癒したから」
「真の相手に出会いました」ということらしかった。

思い通りにいかない子育て中もそうだった。
みな、自分の「癒し」をお金に変えようと必死だなあと思った。

そして、そういう人に会うと「あなたも経験をブログに書けばいいのに」と言われてきた。ほーそうなのか、と素直に書いてみたが、それを「売る」気持ちにはとてもなれなかった。
どうしても自分と自分の大切な家族を「売る」ことはできなかった。

私は癒されてないのかな、傷があるから「売る」ことができないのかなと
自分を責めたりもした。

そういう葛藤から10年経った。

その間に、人々の意識も少しずつ変わってきた。
発達障害の理解も深まって、癒しだのなんだのではなくて、ライフハックを伝えることで生きやすくなることを教えてくれる人も増えた。
トラウマへのケアも広まってきたように思う。

しかし、相変わらず「癒しを脅迫に使う」教は後を絶たないし
発達障害であっても「自分でライフハックを見つけて」「感覚統合をやれば」普通に生きていけるよ、という自己責任論もある。
恋愛経験のない若者たちに向けて「自分を愛せよ」「でなければ結婚も子どもも望めないぞ」という風に読めるものもあって
まあまあな地獄だなと思う。

私に関していえば、結婚が向いていなかっただけの話だったり、恋愛大好きなだけだったり、うまくいかないことで自分を責めすぎだろ、相手が悪いだろという話であったりした。
子育てのことも、別に私だけが特別おかしなわけでもなかった。

癒されなくても人生は続く。
幸せも得られる。
なにより、「癒されない人」をしばきにくる「癒し警察」に惑わされるのは
あまりにも理不尽である。

いわゆるイメージとしての「癒し」は、くつろぐであり、ほっとすることであり、休息であるが
自分の傷を直視してそこに向き合うのは、休息ではない。
そのエネルギーたるや、癒しとは全く違うものである。

人から「幸せな人」と思われたい、という欲が
そのような脅しを成立させているわけで
大切なことは「自分とはどういう人間であるか」なのだ。

結婚や子育てが向いていないのであれば、する必要などないし
大きな家なんて面倒なだけかもしれない。
それよりもこの社会の構造が生きづらさのひとつの要因だとしたら
いくら癒しをがんばった(がんばるものなのか?)ところで
どうなんだろうという疑問はある。

私はたまたま自分のことが知りたいという欲が何よりも大きかったので
あらゆる興味のある所に自分から突撃していって
もともとの傷に塩を塗り、とうがらしをぶっかけて生きてきた。

仕事や学歴だけがジャッジの対象ではない。
「癒されているか否か」をジャッジする人たちがいる。
整体師を名乗っている人から、人格を否定されたことまである。
学歴なんて関係ないんだ、感性なんだ、と言ってる人ほど
自分の「癒され度合い」や「聖人に対するあこがれ」が強いのか
他人をことさら「魂レベル」でジャッジすることに必死になっていて
「まだ学歴のほうが客観的でいいんちゃうんか」と私は思う

そして、癒しの仕事をしている人に限って
「自分の年収」が「癒しの成果」だと豪語しているのも
とても不思議なことである。

そういうことから離れるものではないのだろうか・・・・

ともかく、アメリカから影響を受けて、自己責任と「豊かであること(経済的に)」をリンクさせることを、みながきれいに内面化しているのは
将来誰か研究してくれると面白いだろうと思う。

と。。。
話がそれてしまったが

「癒し」は万能薬ではないのである。
脅迫に屈しなくてもいいのである。
心のままに生きることができないのは、癒しが足りないせいではないかもしれないよ、という視点を忘れてはいけないと思う。

そして、「成功」や「お金」や「愛されること」を癒しと結びつけないことである。それはそれ。これはこれ。
結びつけたほうが商売にはなるのだ
人を呼びよせる餌になるのだ
それはネットワークビジネスやカルトと同じ手法なのだ。

因果関係を勝手に作り出し、不安を起こさせて商売にしているだけだ。

どうか、自分を責めないで、癒し警察にジャッジされて落ち込まないで。

それだけを伝えたくて書いてみた。

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