アンディ・ウォーホル・キョウト・レポート
・はじめに
皆さんは"アート"と聞くとどんなものが思い浮かぶでしょうか?
ピカソのゲルニカ? 岡本太郎の太陽の塔? ゴッホのひまわり? 鳥獣戯画や地獄絵図なんて人もいるでしょう。
今回紹介するアンディウォーホルは、60年代を風靡したポップアートの旗手として名高い人物です。
ポップアートって何?と思った方もいるかもしれません。ですが、実は皆さんの身の回りにあるデザイン、これらはポップアートの概念そのものと言えるのです。
今回の記事は京都京セラ美術館で行われている「アンディ・ウォーホル・キョウト」(23/2/12まで開催)に行ってきた筆者のルポになります。
展覧会のネタバレも含みますので読んでる途中で行きたくなった方は、ぜひ行ってから続きをどうぞ。
1.アンディウォーホル日本体験記
会場に入るには、京セラ美術館別館の中庭を囲むように作られたガラス張りの廊下をぐるっと一周しなければならず、否が応でも中庭の日本庭園を見なければならないが、ここで目を凝らして庭園を見ておくことで、その次に続くアンディウォーホル初期の活動が展示されている第1ブロックと第2ブロックの作品がより際立つ。
ディズニー風の猫の絵や金箔を貼られたハイヒールやクジャクの絵など、どこかアジアテイストながらも西洋を感じさせる作品が第1ブロックには並んでおり、アンディウォーホルの宗教観や生い立ちなどと絡めて解説がされていた。
そして、第2ブロックではウォーホルが当時の恋人、チャールズリザンビーとの1956年の日本旅行を軸に展示がされており、特に興味深かったのは日程表が置いてあることだった。
その日程は東京から始まり京都、奈良と観光して熱海の旅館での宿泊という流れなのだが、その普通の人達と何ら変わりのない日程に少し笑ってしまった。
アンディウォーホルにとってこの旅行は取材旅行だったのか、それともただの休暇だったのか。
展示されていた京都の寺院の素描は途中で辞めたかのような線の配置であるし、舞妓のスケッチも服の模様はなく、多少カリカチュアされた舞妓さんの顔が描かれているだけであった。
ウォーホルにとって、この旅行はただの休暇だったのではなかろうか?
ぜひとも実際に展示を見て判断してみてほしい。
2.アンディ、ポップアートの旗手になる
「金は金、汗を出して手に入れたか楽に入った金かはどうでもいい。使うときは同じだ。」
このポップアートを先導した人間の言葉は展示会の壁に書かれているが、まさしくポップアートを表していると言っても過言ではない。
今回、「キャンベルのスープ缶」、「Brilloの木箱」、「シャネルの5番」と「マッキントッシュ」が展示されており、美術資料などでしか見ることのなかった作品たちがずらりと並ぶ姿にはそれだけで感動がある。
ウォーホルの題材にするデザインはその多くが日常の中にあるもので、ウォーホルが取り上げるまで、そのデザインはアートとして取り上げられることはなかった。そしてそのデザインをアートとして再生産することでウォーホルの作品は完成するのである。つまりデザインそのものをどう手に入れたかではなく、どう使うのかのほうが重要であるということである。
どうでもいいスープ缶の包装として扱うのか、キャンバスの上で再生産することでアートとして再生産するのか。
この論理はまるで仏教やヒンドゥー教の輪廻の概念に似ている。
同じ魂が別の生き物として再びこの世に生を受けることで再び他の生き物に影響を与えていく。
おそらくアンディにこのような視点は無かったかと思う。しかし、あえてこじつけることで見えてくる面白さもあるのかもしれない。
3.有名になったならアンディに書いてもらおう
アンディといえばスープ缶などの日常生活に紛れ込んだデザインの再生産の他に、有名人の自画像のシルクスクリーンが有名である。
シルクスクリーンの技法はこの動画(作成:横浜市美術館)を参照するといいかと思う。言葉だけ知っているよりも、実際の手法を知っている方がなぜウォーホルがFactoryと呼ばれる団体を必要としたのか、よくわかるような気がする。
さて、この展示会のPRポスターとして用いられている3つのマリリンが出てくるのが第4ブロック、儚さと永遠であるのだが、ここで、博物館というものがただ単に有名作家の作品を並べているだけではないということがわかる写真を掲載しよう。
さて、この展示を見たときに皆さんは何を感じるだろう。3つのマリリンそのものにまず目が行くだろうが、あえて背景の壁に注目していただきたい。(ほかの作品の写真も載せるほうがわかりやすいのだが、撮影の許可は下りていたもののその二次利用については特に明記が無かったように思えるため、ポスターで使われていたこの作品だけにとどめておく)
わかりにくいかも知れないが、壁が金色でおおわれているのである。
博物館で作品を見る醍醐味とはこういった展示の工夫にあると思う。マリリンの代名詞であるブロンドの髪を思わせるそのシャンパンゴールドの背景は、蛍光色で作られた作品よりも落ち着いており、目立たない。そこに暖色系の照明が作品にスポットライトが当たり、反射することによってさらに作品を引き立てている。マリリンの死をきっかけに作られたこの作品が、このように展示されることで、彼女の銀幕のなかの輝いた姿を彷彿とさせている。
ウォーホルの収入の多くは、有名人からの自画像の発注が支えていたという。しかし、この3つのマリリンはマリリン本人の発注があったわけではない。ウォーホルが彼女のファンであり、彼女の死にショックを受けたウォーホルが自発的に作成したものである。
ウォーホルはこの作品をどのように飾りたかったのだろうか?家のリビングだろうか?寝室の壁だろうか?
私は絵画を描かないため、画家の気持ちはわからない。どのように飾ろうと思ってこの絵を描いたのだろうか?それとも、描いたきり、どこかへしまっておこうと思ったのだろうか。
その意図はわからない。
おわりに
みなさん。あけましておめでとうございます。今回は初めてのルポタージュ記事となっております。
取材のために現地に行ったというよりはせかっく現地に行ったし書いちゃおうかなという内容になっております。
相変わらずの尻切れトンボ、もはや飛び立つことを忘れたその姿、いかがでしたでしょうか?
ミュシャ展や富野由悠季展など、地元の美術館ででかい展示があれば行く程度だったのですが、今回はアンディウォーホルということで張り切って片道2時間もかけて行ってまいりました。
今回見た京セラ美術館でのアンディウォーホル展で面白いと思ったギミックとしては、写真撮影が許可されていることでした。
これってなかなかないことで、作品の複製が許可されているということですから、とんでもねぇなと思うと同時に、アンディウォーホルの十八番である拡散されたデザインの利用、それをさらに拡散するという行為そのものがアンディウォーホルのアティチュードと重なり何とも言えぬ体験をさせてくれる、という構造に感動しました。
今回のようにまたどこか展示会に参加したときは記事にしたいとおもいますので、読者の皆様のアンテナを是非ともお借りして、おすすめの美術館などございましたらコメントなどで教えていただけると幸いです。
ではでは、ごきげんよう。