【日本学術会議 任命拒否問題】 まず、相手を知ろう。ということは、科学でなく、政治を?

 令和2年10月11日 理事 中道 徹

 科学者や科学ジャーナリストは、政治家は科学が分かっていないなどと言う。
 しかし、では、彼らは政治が分かっているのだろうか?
 実は、私も政治は分からない。政治学部というのが大学にあるのは知っているが、どうして18、19歳の若者が、政治学部なんてところに行く気になるのか、今もって分からない。なんとなく、政治はドロドロしているような気がするからだろうか。
 その点、科学はかっこいい。
 科学は、真理とまではいえずとも、反証可能性を武器に本来性を探求する人間活動である。「科学という企てそれ自体が規範的」であるため(エリオット・ソーバー(科学哲学)著『科学と証拠 統計の哲学入門』)、科学が何かということは実は分かりやすい。つまり、幸福なことに、存外、科学は世間に理解されているのだ。日本学術会議の問題に関し、学術会議を支持する世論が強いのは、こういった理解がある為だろう。もしかしたら、政治家も、その程度は理解しているかもしれない。
 他方、政治であるが、ある書物を見ると、次のようなことが書いてある。
「政治において決定的なのは外見上のパフォーマンスであって、それを超えて本来性を探求することは政治的なものを破壊」してしまう…
いったい、これは何の標語だろう?身も蓋もない処世術だろうか?反科学そのものではないのか? 
これは、ハンナ・アレントを引いた上で、大竹弘二(南山大学准教授・政治思想史)が述べたものである(『公開性の根源 秘密政治の系譜学』)。すなわち、これこそ、政治の本質を言い表したものなのだ。これによれば、政治は、本来性を探求することがない人間活動ということになる。
確かに、分かり合えないはずである。一方が本来性を探求し、他方はそれをしないのだから。
しかし、まず、相手を知ろう。
なぜ、本来性の探求が政治的なものの破壊になるのだろう、と疑問を抱くことから始めよう。
それが、科学的態度というものだ。




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