幼少期、弟が死にかけた話
あれは私が保育園生の頃だったろうか。
家族で親戚の家に遊びに行っていた私達は、庭で親戚のお兄ちゃんやお姉ちゃん、そして弟と遊んでいた。
お兄ちゃん達は当時小学生で、弟は2、3歳位だったと思う。
私の実家は山の上にある田舎なのだが、その親戚の住む場所は、さらに山の中にあるような田舎。
親戚の家は、やや急勾配な坂道を登ったところにあり、その下には段々畑が広がっているという田舎ならではの風景だった。
坂道の上は、さながら崖のようになっており、子供心にも『高いなあ』と思った記憶がある。
遊んでいる途中、お兄ちゃん達は用ができたのか飽きたのか、その場からいなくなってしまった。
私は、弟と2人でその崖付近でじゃれあっていた。
かなりギリギリの位置だったと思う。
そして、私が何かに気を取られ、弟から目線を数秒外した。
ほんのわずかな時間。
くるっと後ろを振り向くと、
弟の姿はなかった。
あれ?
どこいった?
なんでいない?
すごいスピードで走った?
いやそんなはずない
透明になったの?
一瞬で色んな考えが頭を巡った。
人間、信じられない出来事に遭遇すると、脳がパニックを起こすという。火事の時、有り得ない物を持って逃げ出していたりするのも同じ原理だろう。
この時の私もまさしくそう。
しかし現実的に冷静に考えた場合、辿り着く結論はひとつしかない。
弟は下に落ちたのだ。
私はすぐみんなに知らせに行った。
大人たちは相当パニックになっていた。
母親などは「見に行けない!見に行けない!」と脇目も振らずフルスロットルで動揺していた。
誰もが最悪の想像しかしていなかったと思う。
そんな空気を打ち消すかのように、子どもの泣き声が聞こえてきた。
もしや、とみんなが現場へ駆けつけ、恐る恐る下を覗き込むと。
号泣する弟がいた。
弟は生きていた。
下は畑になっていたのだ。やわらかい土がクッションとなり、また体重も軽かったため打ち付けられた衝撃も少なかったのではと推測される。
もし下が畑でなかったら、命はなかったかもしれない。
私は幼少期から壮絶な悲劇を背負って生きる事になっていたのかもしれない。
ちなみに、その後の私の記憶は、すぐ近くの病院にみんなと車に乗って行ったというぐらいで、記憶はそこで途切れている。
子供の頃だしそんなものだろうなと思う。
しかし、何故かその病院の看板の記憶だけは未だに鮮烈に脳裏に焼き付いている。
そして、弟の姿が消えたことに気付いた時のあの感覚も、鮮明に思い出せる。
これは、まぎれもなく九死に一生だったと思う。
皆さんも、崖には近づかないようにしましょう。それは船越英一郎に任せましょう。
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