日本人は世界一忍耐強いかもしれない
いきなり大胆なタイトルにしてしまったけれども、これはいい意味悪い意味問わず、私がここでの生活で日々感じていることだ。
私はNYという人種のるつぼにいて、日々色々な国の人と交流するわけだけど、多くの人はある程度は元気で楽しく、また呑気でマイペースだったりするけれど、反面、日本人のように”我慢すること”にはそんなにエネルギーを使うことはしない。
でも、だからこそ、常々元気でいられるのかもしれないという気がするところは正直なくはない。
日本は統一言語の島国で、根底には平和な仏教思想の影響があり、神社仏閣に対するリスペクトも怠らず、自然や季節の習慣や謙遜の心も大事にする。
そして、昔からの職人文化も素晴らしく、温厚な農耕民族の歴史の中で自然とともに生きて来た、ある意味とても真面目で繊細な美意識を持つ民族だと思う。
実際のところ、311の災害の時の東北や福島の人たちの、決して取り乱すことのなく、まわりを思いやって我慢強くその場に存在し続けた人々の真面目な対応は、世界中の人々に大きなインパクトを与えている。
「こんな状況でもこんなことができるんだ?」「同じ人間として素晴らしすぎる!」と言うのが、諸外国の人たちのこの時の日本人に対する素直な感想ではないかと思う。
アメリカ人やここに住む諸外国の人たちは、ある意味日本人のようなタイプの我慢は苦手だ。
要するに、自分のペースを乱されることを何より嫌う傾向があるので、自分の価値観に合わない出来事が起こったら、すぐに怒り出すし、立ち上がって戦うことを厭わない。
それゆえ、訴訟も日々絶えないので、弁護士の数も半端ではない。
だから、実際のところ、そんな日本人の「我慢強さ」の美徳が、弱肉強食の狩猟民族の西欧諸国や諸外国では、必ずしも活かしきれないことは正直多々あるとは思う。
日本人は、ある意味自分の住む環境や社会が、とりあえずは平和であることに、とても強いこだわりがあると同時に、争いごとが極端に苦手な一面もある。
“とりあえずは平和な状態“というのは、実際には、「何かあってもまずはその場は丸く収めましょう、」みたいな感じではないかと思う。
だから、日本人はその感じをずっと目指しながら、それが日々の平和であることと信じて生きて来ている部分は少なからずあるような気がする。
平和であることは、もちろん何よりも大切なことだけれども、それが“とりあえず“で終わってしまった場合、例え矛盾を感じることがあったとしても、そのことには蓋をして、それを掘り下げたり、本気で話し合って改善したり、と言ったことを諦めてしまうのと同じことになるという部分にはあえて目を向けないまま、ずっと実態の危うい“とりあえずは平和“ だけを尊重したままで我慢しながら来てしまっているっていうことも少なからずあるだろう。
だから、そういった“とりあえずの平和“のためだけに、日本人が本来持つ”忍耐力”っていう世界に誇れる美徳を使うことは、もうそろそろやめにすることを考えてもいいんじゃないかなあって、ここにいて思うことは少なくない。
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