学生街のカフェ探し in NY 2
前に学生街のカフェは文化だと思うという記事を書いた。
https://note.com/jasminflower/n/n1d5741a88a69
それとともに、学生街のカフェ探しについても。
今回書くのは、スモールカフェ(スモールストア)について。
ここ10年から15年ぐらい、米国だけでなく、日本でもデジタル化が著しく進んだ、と同時に、コロナの影響もあって、スモールストア( チェーンではない独立店舗のお店)っていうものが生存できなくなった。
それぞれの街の顔っていうのは、必ずしもわかりやすくて大きなアミューズメントや、有名観光地の大きなショッピングビル、もしくはその中にあるお店だけじゃない。やはり、その街の本当の顔って言うのは、昔ながらのスモールストアにこそ存在すると私は思っている。
特にカフェ文化、って言う意味でいえば、そのこだわりにこそ、店主の本当の息遣い、時によっては人生哲学すらも感じられたりすることもある。
その意味で言えば、スターバックスが日本に登場して以降、こう言ったスモールストア、つまりスモールカフェが少しづつ生きづらくなってしまったのは間違いないだろう。
その傾向は、NYのようなアメリカの都市では顕著だ。
特に、以前はダウンタウンのスモールストアであったはずのコーヒー屋(一号店)が、コーヒーサードウエーブの風潮から事業拡張に出て、今やビジネスオフィスの集まるミッドタウンのビルにまで進出しているという例も少なくない。
(ちなみに、アメリカで始まったコーヒーサードウエイブは、多分、日本ではブルーボトルコーヒーが最初だと思う)
確かに、シアトル発祥から広がったコーヒーセカンドウエイブであるスタバを始め、クオリティ重視のサードウエイブ系のカフェというのは、ある程度居心地のいい内装にも設定されているし、カフェで何かをする上では使い勝手も良く、全国にチェーン展開しているという意味ではものすごく便利だと思う。
でも、でも、でも、結局の所、カフェ文化っていう意味においては、どう考えてもスモールストアの右に出るもんはない、って思ってしまうんだよね。
もちろん、私だって、ブルーボトルコーヒーの質の良い淹れたてのコーヒーや、クロワッサン(→個人的オススメ)の美味しさには勝てないと思うし、天井が高くて執筆するには居心地のいい空間には何回かお世話になっている。
ただ、先日も思わず呟いてしまったけど、その背後にある潰れていくしかなかった数多くのスモールカフェに対する気持ちは、今も変わらない。
https://note.com/jasminflower/n/nd4b1d340451e
そんなわけで、街歩きをしながら、半ば奇跡とも思える昔ながらの風情のスモールカフェを見つけたり、そうでなくても、良質でこだわりのあるスモールストアなんかを発見した日には、それこそ嬉しくて、それだけで1日がハッピーになるぐらいだ。(普段は自己肯定感が低めのヘタレな私でも、こういう時だけは「よくやった!」と自分に対して思えるぐらい。笑。)
そして、そういうお店は、決してYelp(日本でいう食べログ)なんかには載ってなかったりもする。
以前はそんな風に、ネットの情報には頼らず、街を歩きながら、自分の勘や嗅覚だけで何かを探し出す、という方法でお店やイベントを見つけ出して仕事をするのが普通だった時代も確実に存在していた。
だから、例えば昔のバッグパッカーの人たちとかは、それこそ「地球の歩き方」ぐらいしか情報源がなかっただろうし、スーツケースの片隅に入れられた「歩き方」は、どこに行くにも必須の共通アイテムだったはずだ。
そんな時代からすると、ネットや携帯が日常生活に必須なものになって以降の今の情報化社会は本当に半端ではない。
もちろん、その恩恵があるからこそ、私たちは、コロナ禍にあっても、無事に人と繋がることができたし、それによって、ビジネスをしたり、海を超えて色々な人たちと出会うことすらも可能になって行った。
でも、どこかの場所を、実際に足で歩いた「体験」っていう”記憶”と、ネットやビジュアル的な画面から膨らんだイメージの”記憶”は、やっぱり違うだろうし、その意味では、むしろ、ヴァーチャルな”記憶”っていうものにしかリアリテイーを感じにくくなってしまって、それを共通言語として会話するしかない今の私たちの生活は、本当の意味で幸せなのかどうなのかは分かりにくい。
そういう意味で言えば、私はどんな場所にいても、できるだけ「活きた街」を見たいと言う気持ちはどこにいても変わらない。
それが、たとえ決して治安がいいとは言えない場所であっても、高級住宅地であっても、あるいは、大都会でなくてもだ。
そう考えると、やはりスモールストアっていうのはどんな時にもその街の顔に他ならないと思うし、それが都市部では存続の危機にさらされているっていう事が、個人的にはかなりヤバイ気がしている。
特に、単純な利益だけを考えたらお酒中心のお店の方がいいに決まっているにもかかわらず、スモールストアの「カフェ」というコンセプトでお店を始めたいオーナーの人たちは、多かれ少なかれ、その「場」に対するこだわりというものが必ず存在していると思う。
それは、その人の街に対する思い入れや、その街の生活感の中で生まれた見えないコミュニテイーのようなものに対する想いかもしれない。
そして、それは決してヴァーチャルではない、その街の空気の中でこそ生まれるべきものだったと私は感じる事が多いし、そう言うお店は、本当に何十年も地域で愛されて、生き延びていたりもする。
だから、少しでもそんな片鱗を感じさせるような、地域に対するこだわりを感じさせるお店に出会った時、私はものすごく嬉しい気持ちになるし、本気で応援したいと感じたりもする。
もちろん、今の時代は、スタバやブルーボトルなんかがないと生きていけない人たちも、既に数多く存在するだろうし、コーヒー屋さんというものを、そこまで快適化するという形で一般のニーズに広げるシステムを思いついた人に対する恩恵は、私も現実的には感じている部分はある。
ただ、いつどんな場所にいても、お店(カフェ)というのはその「場」を作るものだし、その街のアイコンとも言えるアイテムであり「顔」だと思うので、その片鱗がどこに行っても感じられる場所であってくれることを、常日頃から願ってやまない気持ちは、どこにいても永遠に変わらないだろう。
なんだかこじつけっぽくなってしまって恐縮だけど、そんな数多くのNYのカフェの存在に助けられてやっと執筆した最新の電子書籍、よかったら手に取って味わってみて下さい。