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「アイデンティティ・クライシス」を強みに!

移動がちだった私にはたった一つの決まった「故郷」はない

いきなり結構なタイトルを書いてしまったけど、私ははっきり言って「アイデンティティ・クライシス」を日常で感じることがそれなりに多い。

そもそも、そうなった理由の一つっていうのはまず、親が生まれ育った場所とは全く違った場所(県)、違った方言で、個性も全く違う環境で自分だけが育てられたってことも大きい。

そして、私以外の親族は、全て親たちと同じ故郷の市内で大人になるまで生まれ育っている。

その上、私の場合は親の転勤もあったりしたので、幼少期にはいくつかの異なった環境を移動したりもした。

「故郷」を持たない根無し草感覚で生きる

そうなってくると、よくあるパターンの生まれてから高校を卒業するまではずっと同じ街、もしくはエリアで育ちました、っていう人とはそもそも「故郷」というものに対する感覚が全く違うのではないかと思う。

これって良く言えば、故郷が複数あるってことになるのかもしれないけど、はっきり言って、決定的なたった一つの「故郷」というものは持っていないのと同じだ。

その意味では常にどこかしら根無し草ってことだ。

「地元」というサポート感覚の中で子供の頃から生きてる人たち

だから、幼少期からいつも思っていたのは、たった一つの場所でずーっと生まれ育って来た人たちっていうのは、「故郷」に対する想いみたいなのが、どっか人生の根幹にあって、そのことに支えられているところが実はすごく大きいんだなあっていう半ば羨ましいような気持ちだった。

きっとそういうみんなには、いいことも嫌なことも、一つの「故郷」つまり「地元」っていうものに育まれたものだろうし、普段は嫌がっていたとしても、その中で、どこかホッとする一つの居場所みたいなものは、確実に存在するように思う。

私の場合、それって一体どこなんだ?っていうのが実際のところ非常に決めにくい。

遠く離れた場所にいても「故郷」の存在に助けられることは多い

例えば、海外在住の人たちであっても、高校まではべったり「地元」で育って、大学も同じ県、または、大学だけは東京で、その後は海外みたいな人も沢山いる。

そうなってくると、例え嫌なことがあっても、最終的には「故郷」のことを思い出して乗り切る、みたいな感じの感覚を持つ人たちは決して少なくないと私は思う。

これは海外に限らず、地方から上京している人たちもおそらく同じだろう。

例え好きじゃなくても、帰るべき長期間過ごした「故郷」「思い出」があるってことで頑張れるところというのは、どんな人にもある程度はあるんじゃないかと想像する。

そしてそれは、自分が生まれた時からずっといた場所であるのならばなおのことそうだろう。

つまり、ホームグラウンドっていうものがあると、何かとそれが助けになったり精神的な強みになったりしやすいってことだ。

都会の生活は「故郷」を持たない人には快適かもしれない

さて、そんなたった一つの「故郷」というものを普通には持たない、いつどこに居ても、完全に馴染めるまでの間は「転校生」(地元民ではない)みたいな感じだった私にとっては、ある意味で、色々な場所から人が集まって来ている都会または都市部の生活というのは、どの国にいてもとてもしっくりくることが多々ある。

そして、海外で暮らし始めてからは、なおのこと、”国や場所を超えたアイデンティティの違い”の中で悩みながらも何かを生み出そうとしている人たちや、複雑な想いを感じながらも、一生懸命に生活している人たち、というのには共感させられることが非常に多いと感じている。

今日は、そんな私がすごく素敵だと思っている大好きな国籍不明(?)な二人の対談を紹介したい。
埼玉県で育った日本語ペラペラのバイリンガルのイギリス人ジョシュアと、若い頃に留学してすっかり海外生活が板について、将来のために一時帰国している同じくガチバイリンガルのリコちゃんの対談。

この二人のパンチのある会話の中では、全てのアイデンティティ・クライシスが見事なまでに「笑い」に変えられている。

私はこういう逞しさがとても好きだ。

ちなみに、この中で二人が語っている”アメリカ人とイギリス人の違い”、これがあまりにもあるあるすぎて、私は正直大声で笑ってしまった。(この場合のアメリカ人ってLAだけど、西海岸のアメリカ人って本当にこんな感じだと思う。)

そんなわけで、海外に興味がある人に少しでも楽しんでもらえたら幸いです。
















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