変えられない事実として自分には「家族がいない」ことを受け入れる。
私の両親は私が高校生の時に離婚しており、最後の家族旅行は中学生の時だった。
昔からよく喧嘩をする両親で、正直この2人は情熱と勢い以外に結婚する理由はあったのだろうか、、、と思うような2人であった。
だから、正直高校生の時に父から「離婚していい?」と聞かれた時は正直驚いた。やっと???と。
家に帰れば常に喧嘩をしている二人に正直うんざりしていたし、早く別れたらいいのにとすら思っていたので、
「うん。離婚したら楽になるんじゃない?」
と父にはいった。
その後2人は離婚し、(いろんな事情があって泥沼で2人は以後子供のことに関しても全くコンタクトを取らない)私たちの家族は崩壊した。
私の両親はとても気が強く、偏見の塊で、母なんて暴力は振るうし、癇癪は回すし、すぐ鬱になるし、なかなか個性的な人たちであった。
ただ、子供のころはそんなことなんてわからないので至って普通の家族として、お父さんとお母さんがいて、兄弟と楽しく暮らしていると思っていた。
喧嘩よくする2人だな、程度。
だから、正直子供の頃は自分の両親が離婚することになるなんて全く思っていなかった。
まあ、とにかく離婚したのだ。
離婚してしばらくはなんともなかった。
ただ、最近自分も自分の家庭を持つような年齢に差し掛かってきて、
自分がいかに「家族」というものを欲しているのか、憧れているのかということに気がついている。
しばらく結婚願望が激しくあったのだが、(今はそこまでない)これも、
「結婚=家族になれる」
と思っていたからで、結婚を急いでいたのも
・自分にも帰る場所が欲しい、
・何があっても一緒にいてくれる人たちが欲しい、
・何も疑わず当たり前にその存在を求められたい
なんていう想いが人一倍強いからなのだと思う。
やっぱり羨ましいのだ。やっぱり素敵だなと思うのだ。
実はこの「家族が欲しい」という願望はしばらく自分の胸の奥底に沈めていたのだけど、
先日はるなあいさんのLGBTQに関するインタビューを聞いてふと思い出し、ハッとさせられたのだ。
彼女は自分の性について話をしていたのだが、
「ずっと女の子になりたかった。だけど、自分が男の子であるという事実を受け止めて、向き合って初めて道が開けたと。」
なんだかとてもスーーっと入ってきた。
彼女は「自分が男の子であるからこそ今の自分がいる。」ととてもシンプルに自分のコンプレックスをコンプレックスとしてではなく、単に「事実」として受けとめていた。
「単に」とは言ったものの、これが難しい。シンプルに事実を事実として受け止められるか、そしてその上で、自分は何ができるのか、何をしたいのかを考える。
そんなことなのかもしれないと個人的に感じた。
私が家族に執着してしまうのは当然で、何も悪いことではないのだ。
家族が欲しいと思ってもいい。
事実として「家族がいないのだから」。
どうやったら私にも「家族」ができるのかは今はわからない。
結婚=家族
でもなさそうだし、
恋人=家族
でもないと思う。
なんだかよくわからないものの、お互いを愛し、大事に思う両親がいて子供たちが真に親の顔色を窺わず、怯えずに楽しく過ごしている家、そんな家を私もいつかは持ちたい。
そう思う今日この頃だった。