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二十四の瞳 (1954) 松竹

木下惠介監督

これほど多くの童謡・小学唱歌が 使われた作品も
珍しいのではないでしょうか。

埴生の宿、七つの子、村の鍛冶屋、荒城の月、浜辺の歌、仰げば尊し・・・

この作品を 何べん観たか分からないくらいですが
そのたびに こういう歌が
やがては消えていってしまうのかと 寂しい気持ちになります。

          〇

昭和三年の春 新任のおなご先生として
香川県小豆島の
岬の分校に赴任してきた大石先生 (高峰秀子)は

洋装で 颯爽と自転車に乗って登校するが
その姿は 村人たちには眩し過ぎ
たちまち噂の的となる。

「あれまあ、洋服なんか着て お転婆じゃなあ」

そんな田舎の習慣や
土地の人や 古い教師たちと馴染むために 苦労しながらも
受け持った12人の新入生の 良い教師になろうと
大石先生は努力する。

小豆島の美しい自然に囲まれて
七つの子や ひらいてひらいて、などの
童謡を歌い 遊戯をする子供たちを 見ているだけで
それだけで 何だか涙ぐんでしまいます。
 
ある日、子供たちの掘った落とし穴に落ちた先生は
アキレス腱を切り 長期欠席となってしまい
12人の子供たちは 二里の道を歩いて大石先生に会いに行く。

歩いても歩いても まだ遠い道のり。
疲れて、お腹が空いて、心細さに全員が泣き出したとき
偶然、病院帰りの先生の乗った バスが通りかかり
無事に大石先生のお宅に たどりつく。

この出来事は
大石先生と子供たちの心を 強く結びつけることになったが
特にこのとき、みんなで記念に撮った写真は
生涯一枚の写真となる。

やがて4年が経ち 5年生になった子供たちは
遠い本校に通うことになり 大石先生も結婚。

これはもう、伝説的に有名なお話ですが
1年生の子供と 成長した5年生の子供は
3600組・7200人の中から オーディションで選ばれた
12組24人の 実際の兄弟、姉妹が演じています。

こうした、時間と労力をかけたキャスティングにより
子供たちの成長ぶりが 自然に受け入れられます。

しかし、しばらくして大石先生も 本校へ転勤となるが
この頃から学校教育は 次第に軍国主義が色濃くなり
軍国教育に嫌気のさした 大石先生は退職する。

戦争という時代のうねりの中で
学校も続けられずに 働きに行く子
病気にかかっても 満足な治療も受けられずに亡くなる子・・・

青年となった教え子のうち、半分以上が戦死
先生の夫も出征し、そして戦死した。

昭和20年、終戦。
3人の子供をかかえ、未亡人となった大石先生は
縁あって ふたたび分校の教師となり
かつての教え子たちが 歓迎会を開いてくれる。

みんなでお金を出しあって 贈ってくれた自転車。

戦争で失明した 教え子の磯吉 (田村高廣)が
あのときの写真を 指でなぞりながら言う。

「この写真は見えるんじゃ、ほら、真ん中にいるのが先生で
 隣りにいるのが まっちゃんとふじ子じゃ
 まっちゃんが左の指を 一本残して手を組んどる」

          〇
この映画を観た人には
胸に焼き付いている場面が それぞれあると思います。

一年生が遠い道のりを 大石先生に会いに行く場面。

四国へ行く修学旅行で 子供たちと先生の乗った船と
先生の夫 (天野英世)が船長をしている遊覧船が
すれ違う抒情的な場面。

金毘羅さまの近くの食堂で
働いていた教え子・まっちゃんと出会う場面

「仰げば尊し」が流れる雨の中 贈られた自転車に乗って
大石先生が登校していく ラストシーン。

しみじみと、いい映画でした。

1954年・この年の キネマ旬報ベストテンでは
『七人の侍』を抑えて第一位 。
「子供が侍に勝った」と言われました。





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