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ちょっと休憩 「ジャスミンのデンデケデケデケ」

高校は女子高でした。
2年から3年というと 1964年~65年。
今から ほぼ60年前、と言うとちょっと愕然とする。
長生きしてるわ。

この頃は
日本にビートルズ旋風が ゴーゴー吹き荒れ
ベンチャーズの嵐も凄かった。
そして 和製バンドも じゃんじゃん誕生した。

で、私たちクラスの仲間4人組も
バンドを結成しようと 意気込んだことがあった。
当時はまだ、
女の子だけのメジャーなバンド というのは無かったのよ。

だもん、
私らみたいなカワイ子ちゃんバンドがデビューしたら
超々話題になって 引っ張りダコよと
自分たちだけで勝手に盛り上がった。

この時点で誰ひとり エレキギターに触ったことも無いのに・・

これから練習すればいいだの、腕前よりルックスで売ろうなんて
若さって恐ろしいもんだわ。
それに今の17歳より ずっと子供だったのね。

まあこの話は 盛り上がるだけ盛り上がっただけで
あっけなく消滅しましたけどね。

友達のお兄さんのギターを 触らせてもらっただけで
誰もが無理だと悟った。
みんな 努力とか根性とかの かけらも持ってないんだもの。
でも楽しい思い出のひとつには違いなかった。

それからこれも 懐かしい話なのですが
この当時、
テレビで「勝ち抜きエレキ合戦」という番組があった。

 フジテレビの「勝ち抜きエレキ合戦」

スポンサーが サトウ製薬だったので
近くの薬屋さんに行くと
公開録画の入場券が貰えた。

2、3回 行ってるうちに 私たちは
この番組にレギュラー出演している バンドのギタリストさんが
恐ろしくギターが上手なことに気がついた。
演奏している その指使いを見ていると
頭がボーッとなった。

あとで聞いたら
私たちが知らないだけで その世界では凄い人だったらしい。
そのバンドは「井上宗孝とシャープ・ファイブ」で
ギタリストは 三根信宏さんといって
往年の歌手のディック・ミネさんの息子さんだった。

まあ 私たちも聴く耳は持っていた訳ですわ。

一緒に組んでいた シャープ・ホークスも好きで
学校の目を盗んで
ジャズ喫茶に通いました。ああ、懐かしいわ。

そんなこんなで ありふれた青春時代は
立ち止まりもせず びゅんびゅん過ぎて行き・・

やがて20代も 中頃に差しかかると 
ジャスミンの音楽志向は
完全にイギリスの方角に向いてました。

あの頃は凄かった。
今で言う
伝説のロックバンドがいっぱい活躍していた。

私はディープ・パープルと レッド・ツェッペリンが好きで
「マシン・ヘッド」のLP盤を 一日中聴いて
頭の中が くるくるになったこともあった。

クィーンや イエスや ピンク・フロイド・・
T・レックスや ロキシー・ミュージックも よく聴きました。

でもまあ、おつき合いした中では
デヴィット・ボウイーが 一番長かったかな。
日本公演も追っかけました。

なんてったって リアル・タイムですからね。

ブライアン・フェリーや ロッド・スチュアートが2歳上
フレディ・マーキュリーが1歳上
ボウイーが同い歳。

つまり、彼らが
日本で生まれ ジャスミンと同じ地域に暮していたら
ランドセル背負って  同じ登校班で通っていたはずなのよ。

だから私は 自分の年代が好きなんです♪


おしまい


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