無言の映画詩 裸の島 (1960) 近代映画社
新藤兼人監督
この映画には 台詞がひとつも無い
けれどサイレント映画ではない
音楽、風や波の音、子供たちの声、
動物の鳴き声などが 背景に優しく流れている。
ほとんど平地も無く 急斜面の山地だけのこの島に
ある夫婦が 二人の子供と暮らしている。
この島には 電気もガスも水も無い。
湧き水も 溜池も無い。
夫婦の日課は 夜明け前に小舟を出し
隣り島まで行き 飲料と作物のための水を運んで来る。
水の入った桶を天秤棒につるし 島の急斜面を登る。
そうして
春はムギ、夏はサツマイモを植える。
小学二年生の長男と 未就学の弟も両親を助け
飼っているヤギやアヒルの世話をし 家事を手伝う。
食事が終わると
妻は小舟で長男を 隣り島の学校に送って行き
帰りはまた 水を運んで来る。
あるとき 水を運んでいた妻が転び
水桶をひっくり返した。
ずかずかと近づいた夫は ものも言わず妻を平手打ちした。
それほどに厳しい生活が 毎日毎日、繰り返される。
楽しいこともある。
ある日、子供たちが鯛を釣り上げた。
一家は巡航船に乗って 尾道の市街に行き 鯛を売り
外食で美味しいものを食べ シャツや日用品を買い
それから
千光寺山のロープウェイにも乗った。
一家にとっては ずいぶん久しぶりの休暇だった。
突然、不幸が来た。
あるとき 熱を出した長男の様子が急変し
父が隣り島に急ぎ 医者を探して来たが 間に合わなかった。
葬儀には 僧侶と学校の先生と 同級生が参列し
棺は 山の上に埋められた。
葬儀が終わった 翌日からは
また日常の生活が 繰り返される。
しかし妻は 作業の途中で突然、桶の水をぶちまけ
狂ったように 作物を引き抜き
大地に突っ伏して号泣した。
夫は 妻の心情を思いやり
今度はただ 黙って見守った。
ほどなくして
落ち着きを取り戻した夫婦は 作業を再開する。
この家族には この土地で生きていくよりほかに無い。
今日も明日も その先も
この大地に へばりついて生きていく。
息詰まるほど感動する ラストの空撮シーン。
映画の大半は
重い天秤棒を担いで 急斜面を昇り降りし
舟を漕ぎ、畑を耕す、そんな夫婦の姿の繰り返しだが
この島を包み込む 美しい海と
林光さんの音楽に身をゆだねて 観入っているうちに
これは 形は違えども大昔からの
すべての人間の働き、生活するリズムなのだと思えてくる。
〇
1950年 (昭和25)
松竹を退社し 近代映画協会を設立した新藤兼人監督。
原子爆弾、核兵器の問題作も 意欲的に発表したが
芸術性と商業性の矛盾に悩み 失敗作も多く
1959年 (昭和34)の『第五福竜丸』も 興行的に大惨敗。
それまでの 積もり積もった借金に
遂に協会の解散が決まり
解散記念作品として 監督が20年温めていたという
無言の映画詩『裸の島』を撮ることになった。
殿山泰司、乙羽信子の俳優2名と スタッフ11人
現地でスカウトした小学生2名を加え
約1ヶ月で撮りあげた。
結果、思いがけず この映画が
モスクワ映画祭グランプリを受賞したのを皮切りに
メルボルン国際映画祭
リスボン国際映画祭
イタリア国際映画祭・監督賞などなどを受賞。
各国の映画バイヤーから 買い入れが殺到し
国内で映画が完成した時には
見向きもしなかった 日本の配給会社が一斉に乗り出し
最終的に世界62ヵ国で上映。
それまでの借金をすべて返済
協会の存続も決まった。
宿禰島には
監督と乙羽信子さんの 遺骨の一部が散骨されているそうです。
おしまい