丹下左膳余話 百万両の壺 (1935) 日活京都撮影所
山中貞夫監督
28歳の若さで夭逝した
天才監督と言われた 山中貞夫。
サイレント映画からトーキーに移行する時期に活躍し
わずか5年の監督キャリアの中で
26本の作品を遺しました。
しかし今、現存するのは
本作と『人情紙風船』『河内山宗俊』の三作だけだそうで
私は三作とも観ましたが
この『丹下左膳・・』が 一番、好きです。
ある評論家が
脳髄が痺れるほどの「神品」と 仰っていましたが
なるほど、まさにそのとおり これほど面白いとは!
〇
伊賀の柳生家の祖先は 有事に備え
密かに百万両を蓄え
その隠し場所を記した図面を "こけ猿の壺"に塗り混んだが
そうとは知らない今の党首は その貧相な壺を
先ごろ、司馬道場に婿養子に行った
弟・源三郎 (沢村国太郎)の 婿入り道具としてやってしまった。
しかし源三郎の妻・萩乃 (花井蘭子)は
「こんなみすぼらしい壺
お客様に見られたら 恥ずかしいわ」と
屑屋に十文で売り払い
屑屋はその壺を 同じ長屋に住む 隣りの坊や・ちょび安に
金魚鉢にと やってしまった。
さてその頃、
主役の丹下左膳 (大河内伝次郎)は 矢場の女将・お藤 (喜代三)の
亭主か、愛人か、用心棒か、居候か、ヒモか、判らないが
いっしょに暮していた。
ある晩、ちょび安の父親が
お藤の矢場で チンピラに絡まれ、殺されてしまう。
翌日、重い気持ちで
ちょび安に父親の死を知らせに行く 左膳とお藤。
「あんた、あの子にお父ぁんの死んだこと、教えてやりなよ」
「俺はやだよ、おまえ行け」
「あたしはやだよ、まっぴらだよ」
「俺だって、まっぴらだ」
結局、行かされる左膳。
訊くと、ちょび安は母もなく
チャンと二人暮らしだった・・
とても言えやしないよ、と帰って行く左膳。
「あんた、ちゃんと言って来たかい」
「いや、腹が空いているというから
おばちゃんが うまい飯を食べさせてくれる、と言って来た」
「おばちゃんて、あたしかい。
嫌だよ、なんであんな汚い小僧に・・・」
ふたりのやりとりは こんな具合。
やがてちょび安を お藤の矢場に連れ帰り
やっとの思いで 父の死を知らせる左膳。
けなげに受けとめる ちょび安。
左膳とお藤は
そのまま ちょび安を引き取ることにするが
ふたりは 子供なんて大嫌いだ、と言いながら
お互いのいないところでは ちょび安を猫可愛がりする。
さて一方、あの貧弱な壺が
実は百万両の値打ちがあると知った 源三郎は
妻にお尻をたたかれ 例の屑屋を探しに行くが
「江戸はめっぽう屑屋が多い。
探し出すには 十年かかるか、二十年かかるか・・・」
江戸の町を うろつくうちに
源三郎は お藤の矢場で働く娘に一目惚れ。
それからは毎日、屑屋を探しに行くと家を出て
矢場に通い、左膳やお藤や、ちょび安とも親しくなり
やがて、ちょび安の金魚鉢が "こけ猿の壺"と気づくが・・・
壺が見つかっては 自由も無くなる、浮気も出来ないと
あっさり、左膳に預けてしまうのだった。
〇
山中監督は それまでの
剛健にして虚無的なイメージの丹下左膳を
根っからの好人物に変え
音楽もムソルグスキー「禿山の一夜」など
クラシックを起用、作風もモダンで明るいものを目指したが
原作者の林不忘から イメージに合わないと抗議を受け
タイトルを「丹下左膳余話」とした。
しかし勿論、豪快な斬り合いのシーンもあります。
それにしても
日中戦争での 山中監督の戦病死は 残念でたまりません。