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小学校に入学した時から、母子分離不安があった次男。
2歳上の長男もいましたが、1年生の9月まで毎日学校まで三男同伴で送っていく生活でした。

三男の癇癪がひどくなり、さらに4人目妊娠発覚が重なり、徒歩5分の学校までの送迎すら厳しく兄との登校に切り替えてもらいました。次男も三男の癇癪がひどい状態を見ていたので、送っていけないことを伝えたときは、強い拒否はなく受け入れてくれたように感じました。

そこからは兄と登校、三男が入学してからは三男を連れて登校してくれる優しくて逞しい次男でした。

そのような中でも時々学校を休むことはあり、何となく心づもりが必要なのかなという予感がありました。幸い、職場には「発達障害」「不登校」のお子さんを育てている先輩ママさんがいたり、それに関連したイベントを開催していたので、時々相談をしていました。

加えて、発達凸凹アカデミーで学びを重ね、定期的に情報交換をしてきたおかげで様々なケースを見聞きできていたこと、全国規模で話せる仲間が普段からいたことも大きかったです。

しかし、いざ「学校に行かない」という状態になったときは戸惑いました。

それまでは情報として得ていたものが当事者になったときにはじめて真剣に向き合うことで気持ちも変わってくることを痛感。
これは、大学で発達心理学を学んでいた時に得ていた知識が実際に我が子への関わりとして活用することになったときの心境と同じものでした。知識で留まっている間は、どこか他人事のようにとらえているところがあるのです。

学校に行かなくなってから、
・1人で家でお留守番させる?
・仕事はどうする?
・ずっと家にいるとなると、在宅勤務もしにくい?!
など、わたし自身の視点で様々な葛藤が出てきました。

そんな戸惑いはあったものの、相談できる人がいるということ、家庭の状況を職場に伝えやすいということ、臨機応変に対応してもらえるということがわたしにとっては救いでした。相談できる人が思いつくだけでも、追い込まれなくて済んだと今でも実感しています。
とはいえ、相談した時はいっぱいいっぱいでした。

最初はお休みは数日だけかもしれないという淡い期待、2週間経過すれば少し長くなりそうだなと受け入れ、1・2ヶ月経過してから長引くな…3ヶ月経過した頃に完全に不登校だなと覚悟するという経過をたどり、本格的に相談を始めましたが、長引きそうだと感じた頃に早めに職場に現状を報告できる雰囲気だったことも大きかったと思います。

わたしが知らなかっただけで、思った以上に不登校のお子さんを抱えていたり、経験済みの方は職場にも多く、日常的にもそういった会話が飛び交っていたようです。相談したら想像以上の情報をもらえたことには驚きました。

そして、「相談機関はあるんだけど…前から気になっていたんだけど、電話しかないんだよね…」という情報も。きこえないことによる困り感にも気づいてもらえるのは本当に救われます。電話しかないのか…と1人で途方に暮れたら、ますます追い込まれます。

電話以外の方法はないのか調べる!
直接のつながりはないけれど、知り合いがいるから聞いてみる!
そういう声かけももらえて、自力で全部調べる必要がなかったのも幸いでした。
まだ電話しかない問題はクリアできていないけれど、
他のお子さんには効果があったことが我が子には難しかったということも多々あり、ジレンマを感じることもたびたびありますが、1人で抱え込む必要はないんだなということを感じています。


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