理解と疑似理解
理解することと知ることの違いはなんだろうか。
様々な視点での解釈があると思うが、私は両者の違いは自己破壊と再構築を伴うかどうかにあると思っている。
理解することは、入ってきた記号(言葉、映像など)を、自分が持っているデータと照合することで自分の中に新たな概念を構築するプロセスである。
この作業は足し算的な行為に思えるかもしれないが、同時にすでに構築されている自己概念の一部が必ず損傷、つまり自己破壊を伴う。
理解の対象が、その時の自己概念から遠ければ遠いほど、この破壊の範囲は広くなる。
例えば我々がアマゾンでサバイバルみたいなことになればこの自己概念の破壊の範囲はかなり広くなるだろう。
これは理解という現象を考えた時には構造的に不可避であり不可欠。
理解とは、そういう成長・学習のプロセスである。
自己破壊と再構築という枠組みにおいては、知ることは足し算的である。
すでに保持している知識に加えて、新しい知識が加わる。
自己破壊を伴わないということは、新しいものはすでに自分が持っている概念の中で解釈されることを意味する。
典型的なのは「言い換え」である。
何か知らない食べ物に出会った時、自分の知っている食べ物の中から”似たもの”として解釈しようとしている行為である。
「ああ、これはお好み焼きみたいなもんやね」という足し算的な解釈は、実はよくやってしまっている疑似理解だ。
”理解した気になっている”が実は何も理解していないケースは知らぬ間に自分を襲っている。
当人は気付いていないことが大半だから、自分自身も含めてここは慎重に自己観察しなければならないと思う。
両者ともに新しい何かが自分に加わることを表してはいるが、自己破壊があるかどうかによる差は大きい。
▶︎理解すること
すでに構築されている自己概念の破壊と概念の再構築を伴う
”価値観が覆る”ような現象
▶︎知ること
自己破壊と再構築を伴わない足し算
”言い換え”を起こす
問題は、理解であっても知るであっても、「わかった」という言葉で表現できることである。
*理解という言葉を知ることという中身で使っていることも多い。
我々の立場は常に理解を積み上げていかなければならない。
理解せず、知っただけでは本質的にはやれることは変わっていないからだ。
新しいトレーニング方法やその概念を知るだけでは、本質的には何も変わらない。
見える景色が変わるほどの自己概念の破壊と再構築を積極的に繰り返さなければならない。
理解のプロセスである自己概念の破壊は、大きなストレスであり、不安も生み出す。
これまで自分が”正しい”と思っていたことが覆えして新たな”正しい”を作り直さなければならないからだ。
SNSや指導で”正しいこと”として発していたことが、場合によっては「間違ってました」と訂正しなければならないことだってあるだろう。
様々な論文を検証し、入念に組み上げられた”正しい”であってもだ。
我々は、ある意味でそれを躊躇なくできるぐらいの在り方が必要だ。
他者をサポートする立場において、自己が前面に出ることは、実は理解を妨げる。
例えば、サポートしている選手がとんでもない成長をしてとんでもない成果を出したとき。
我々には何がその要因なのかを分析する必要がある。
これからも再現していくためだ。
そこで「理解のスタンス」の有無が問われる。理解つまり自己破壊を受け入れることができる在り方だ。
これがないことは、起こった現象(=成長と成果)を、自分の持っている概念の範疇で”言い換え”てしまうことにつながってしまう。
自己概念への無意識の固執は常に気をつけなければならない。
私は選手に身体操作を教えているが、選手の成長と成果が身体操作能力の向上”のみ”で成されるはずがない。
選手の成長や変化そして成果には、必ず「分からない何か」が存在していると考えるべきである。
自分の既存概念だけで”言い換え”られるほど単純ではない。
それぐらい、人間のパフォーマンスの変化にはまだ謎が多い。
とはいえ、理解が進むたびに、「違ってました」をやるわけにはいかない。
あまりにも繰り返してしまうと発信や指導そのものの信頼を丸ごと失うからだ。
繰り返してしまう場合は、純粋に勉強量が不足していると思われる。
または勉強のベクトルがずれていることも考えられる。
重要なことは、できる限り本質に近づく努力をすることである。
枝葉に目がいってしまうと、そもそもその木が違うやん!という事実に出会った時に”理解”することが難しくなってしまう。
ここまで言葉を中心に据えて書いてきたが、大切なことは自分の中で起こっている現象である。
つまり理解という言葉を使うにせよ、知るという言葉にせよ、言葉はどちらでもいい。
自己破壊と再構築を伴うのかどうか、自分が新しい入力を行うときにどのようなスタンスで入力を起こしているのかが重要なのである。
自分に起こっていることがどちらなのかが分かれば、言葉はどちらでもいい。
ちょっとややこしい話になったが、常に新たな理解を展開できる状態であることが、実はトレーナーとしての成長ひいては選手のパフォーマンスアップのためにも不可欠である。
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中野 崇 @nakanobodysync
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1980年生まれ
フィジカルコーチ・スポーツトレーナー・理学療法士
JARTA 代表
株式会社JARTA international 代表取締役
イタリアAPFトレーナー協会講師
イタリアプロラグビーFiammeOroコーチ
ブラインドサッカー日本代表フィジカルコーチ|2017-
プロアスリートを中心に多種目のトレーニング指導を担う
JARTA:
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