新著『ハイ・パフォーマンス理論』の【はじめに】を全文公開
11月22日、私の2冊目の著書『ハイ・パフォーマンス理論/競技場に立つ前に知っておきたい「からだ」のこと』(晶文社)が発売されます。
テーマは『選択』。誰もが悩んだことがあるはずの、トレーニングの選択です。
競技パフォーマンスアップを目的としない場合(つまり外見目的)はそんなに難しくないと思います。
ターゲットの筋肉がはっきりしていて、単にその筋肉を肥大させる場合であれば、筋肉の起始停止や作用など、その選択基準はある程度確立されているからです。
一方で競技パフォーマンスアップを目的とする場合はそう簡単にはいきませんよね。
あの選手が成果を出したトレーニングなのに、自分がやっても全然パフォーマンスが上がらない、なんなら怪我が増えてきた。
SNSで「パフォーマンス爆上げ」って書いてるトレーニングをやったのに、全然パフォーマンスが上がらない。
などなど、こんなことはスポーツ界では日常茶飯事です。
これはつまり努力と成果にギャップがある状態。
これが起こる根底にある原因は、「良いトレーニングをやりたい」という考え方です。
は?
良いトレーニングをやらないとダメでしょ!って思いましたよね?
もちろん、良いトレーニングを見つけることを目指さないといけないのですが、「絶対的に良いトレーニング」を探そうとするのはNG。
探すべきは、”自分にとって”「良いトレーニング」です。
つまり、トレーニングの選択が必要なのです。
絶対的な最高のトレーニングがあれば選択に悩む必要はありませんからね。
じゃあどうやって選ぶのか、そのために必要な最低限の知識は?
本書ではそれをできるだけ簡潔にまとめました。
選択を誤るといくら努力しても成果は得にくくなってしまいます。
だから私は『選手の努力と成果のギャップをなくす』ことを最重要の目的とし続け、その手段として選択能力の重要性を主張してきました。
努力と成果のギャップを経験する人が少しでも減ってほしい。そんな想いを持って書いた本です。
ハイ・パフォーマンス理論(晶文社)
【はじめに】
この本を手に取っていただき、ありがとうございます。
スポーツに関わってきた人の中には、怪我や不調に悩まされたり、努力の成果が出なくて苦しんだ経験がある人は多いのではないでしょうか。
私もそのひとりです。
大学まで野球に取り組んだのですが、投手をしていた中学校や高校時代は怪我が絶えず、リハビリに取り組んだ期間も少なくありません。リハビリに取り組み、回復することでまた競技に戻っていった経験が基になってトレーナーになったり、トレーニングに関わる仕事を志す人は比較的多いと思います。
彼らと私の決定的な違いは、私の場合「全然治らなかった」ということにあります。怪我をしてからスポーツ整形外科のドクターに教えてもらったトレーニングに取り組んだり、整骨院の先生やスポーツトレーナーの人にもアドバイスを貰ったりして、回復のための努力にかなりの時間を費やしました。しかし、少し良くなったかなと思っても、また怪我をしたり、身体に不具合が出たりして、完全に良くなることはなく、私の身体が万全になることはないんだな、と諦めかけたこともありました。
しかし、そんな怪我の繰り返し〝体質〟を抱えていた私にも転機が訪れます。きっかけは、独学でトレーニングについて勉強したことにありました。中学三年生の頃にインナーマッスルの本をたまたま見つけ、初めて触れる理論がとても興味深く、熱心にそれを研究したのです(専門的にはローカルマッスルといいます)。
その頃は「筋肉」といえばすなわち「アウターマッスル」のことで、筋肉を鎧のように肥大させ、ムキムキになることが、「筋肉を鍛える」ということであると多くの人が考えていたと思います。
実際、スポーツドクターから教わったトレーニングはそこに分類されるものでしたし、私自身も何の疑問も抱かずにアウターマッスルだけを鍛え続けていた時期がありました。たしかにムキムキにはなり、見た目も変わり、トレーニングの達成感も得られるのですが、たとえば取り組んでいた野球において、そうしたトレーニングのおかげで肩や肘が上手く使えるようになっている、とは感じられませんでした。つまり、アウターマッスルばかりを鍛えても、怪我が減ることはなかったのです。
インナーマッスルという概念に出会った私は、それらを鍛えるためのトレーニングを自分なりに考えていきました。当時は、今ではどのスポーツショップでも手に入るインナーマッスル用のチューブすら、どこにも売っておらず、自作したものを使っていました。行っていたトレーニングは非常に地味で繊細な動きの繰り返しで、しかも前例や正解がはっきりわからないままの試行錯誤でしたが、それでも少しずつ身体のポテンシャルが良くなることが感じられ、続けていけたのです。時間はかかりましたが、そういった積み重ねが怪我の繰り返しからの脱却に大きく役立ったと思っています。
怪我の繰り返しから抜け出せないという辛いことを経験し、自分なりに身体について学んでいく中で「将来は、自分自身がトレーナーになって、私と同じように、治らない状態の辛さやしんどさを味わうような人を減らしたい」という思いを強く抱くようになりました。
それが本書執筆の出発点です。
トレーニングの最適化
理学療法士として、そしてトレーナーとして多くの方と関わってきた中で、「努力しても報われない人」をたくさん目にしてきました。まさに昔の私です。
彼らはなぜ、これだけ頑張っても、強く、上手く、怪我のない身体を手に入れることができないのでしょうか?しかしその一方で、それぞれの競技において大きな怪我なく成功を収めている人たちがいることも事実です。
一体、何が違うのでしょうか。
一般的に(あるいは「常識」となっている)それぞれの競技における技術向上のためのトレーニングや、怪我予防のトレーニングはあります。そして多くの人がそれらの競技を経験したことのあるコーチや監督、あるいはトレーナーからトレーニングを教わったり、メニューとして消化することを求められながら、能力の向上を目指していると思います。しかし、その枠組みを守って、忠実にメニューをこなしていれば自分の理想の競技人生が送れるか、というとそうではありません。
むしろ、圧倒的多数の、怪我をしてしまったり、頑張っても報われないという人たちのほうが、きちんと枠組みを守って練習を重ねているのが事実だろうと思われます。
……これは、理不尽な状況なのではないでしょうか。せっかく頑張っているのに、努力しているのに報われない。
そこで私は、ここには何か秘密があるのではないか、と考えるにいたったのです。そもそも、それぞれの競技で設定されているトレーニングの枠組みは、冷静に見てみると、「構造的に分析されたもの」 (何のためにそれをやるのか、そのことで身体がどう変化するか、競技のパフォーマンスにどのような影響があるか、という問いから生まれたもの)ではなく、「慣例的なもの」が非常に多いと私は気づきました。
そこで、
「バットを何回振ったか」
「何時間練習するか」
「どれだけ強い負荷をかけたか」
の前に、実は見出すべき「勝負どころ」があるのではないだろうか、という視点でものを考えるようになったのです。
いろいろなトレーニングや競技においては(それ以外のフィールドでもですが) 、「センスがある」というひとことで、成功例が語られます。
同じトレーニングをしても、「センスのある」選手は成功し、「センスのない」選手は落ちていく。そんなトレーニングは「良いトレーニング」といえるのでしょうか。
また「センスの有無」という茫漠(ぼうばく)とした判断基準でトレーニングや競技を捉えてもよいのでしょうか。
詳しくは後述しますが、私はトレーニングは選手のセンスに依存する形で存在してはいけないと考えています。「このトレーニングさえやれば必ず成功する」というトレーニングも決して存在しません。
だからこそ、骨格や筋肉など人体の構造、それらが重力下でどのように働くのかといった基礎部分、そして「その選手」がどのような身体特性(および精神特性)を持っているのかという「パターン」を突き詰める必要があるのです。
加えてどのように身体を操れば高いパフォーマンスが成立するのか、そのためにはどのような動きと身体機能が必要なのかという複合的な観点からトレーニングを考えなければなりません。
「目の前の選手」のパフォーマンスをいかに高められるか、そのために徹底してトレーニングの選択を突き詰めることこそが、「トレーニングの最適化」という考え方です。
トレーニングをする上で目標とすべきこと
多くの人が、トレーニングや試合での経験を経て、常に最上のパフォーマンスができる状態に持っていくことを理想だと考えているのではないでしょうか。
もちろん、パフォーマンスの上限をどんどん上げていくことや、自分が持つ能力を最大限発揮できるようにしていくこともトレーニングの大きな目的です。しかし、それと同時に目指すべきは「実力の底上げ」です。
実力の底上げというのは、 「一番底辺(自分が一番悪い状態)でのパフォーマンスの度合い」を改善していくということを指しています。
誰しもが経験してきていると思いますが、どれだけ準備をしていても、試合当日のコンディションには良し悪しがあります。もちろん常にベストコンディションであれば最高ですし、それを目指しているわけですが、コンディションの変化は体調だけでなくメンタル面や環境などの影響も受けるため、常にベストな状態に保つのはなかなか難しいといえます。
長期的に活躍できる一流選手は、そういったコンディションの良し悪し、特に悪い状態でいかに高いパフォーマンスを発揮できるかを重視します。
このような姿勢がパフォーマンスの波を少なくする能力につながります。
自分の身体をよく知り、こういうときはこうしたらいいという引き出しが準備されている状態を目指してトレーニングすれば、どんなときでもそれに対応できる、一定のポテンシャルを維持できるようになります。このような能力を「調整能力」あるいは「修正能力」といいます。
私が指導している選手たちには、コンディションの波を小さくしつつ、「どんな状態でも最低限達成できるパフォーマンスのボトムの部分」を底上げしていくということを常に意識して取り組んでもらっています。
その底が上がることが、つまりは「実力の底上げ」です。
一試合だけよかったとか、一年だけよくてもダメです。継続して維持できるパフォーマンスが底上げされるということは、どんな最悪な状態でも、発揮できるパフォーマンスの最低ラインを自他に保証することであり、このことは信頼や自信の獲得にもつながっていきます。
根底となる考え方
指導をしていく中で、特に大事にしている重要な考えがあります。
それは〝努力と成果のギャップをなくす〟ということです。
選手は、今より少しでもパフォーマンスを高めるために日々大変な努力をしています。
しかしどれだけ努力を重ねても、パフォーマンス向上という成果を得られないケースは多々あります。どの年代、どの競技にもあると思います。もちろん練習を真剣にやらない、ウォーミングアップやクールダウンを丁寧にやらないなど、最低限の努力が不足している場合は、努力量そのものに問題があります。
しかし努力量が十分な場合、これはそもそも努力の方向性にずれがある可能性があるのです。
適切でない方法でどれだけ努力を重ねても、思うような成果は得られません。
努力とその方向性、両者が揃うことでパフォーマンスは着実に向上していきます。
つまり「努力は選手の責任、努力の方向性は指導側の責任」。
選手と指導者、双方が自分のすべきことに責任を果たすことが、適切な関係です。
「努力と成果のギャップをなくす」という考えは、私の原点です。
誰にも負けないと自負できるほどの努力量に対して、パフォーマンスにおける成果といえるものは本当に少なかったこと、その悔しさ、そういった私自身の経験が、この考え方へとつながっています。
そしてたどり着いたのが「トレーニングの最適化」という考え方です。
そのトレーニングは本当にあなたの競技の構造において適切な方法なのか、どのような状態で行うべきか、などなど、トレーニングというのは多くの角度・要素から検討して、組み上げられるべきものだと考えています。
自分たちが取り組むまたは指導するトレーニングは、なぜやるべきなのか、どのような状態でやるべきなのか、どのような成果が得られるものなのか、などについて理解が深まることで、その蓄積(「量」)が「質」へと転換したり、同じことを行うにしても、これからのトレーニンの密度が濃くなったりする。そんなイメージで理解していただけると嬉しいです。
必ず覚えておいてほしいこと
ここから第1章へと進むにあたり、必ず覚えておいていただきたいことが、私たち人間は常に学習状態であるということです。動き方や姿勢を覚えようとしていなくても、勝手に学習が進むようになっているのです。
つまり、「身体の使い方」を覚える時間と、ウエイトトレーニングなど強化の時間は分けることができません。どのような種類のトレーニングをやっている間も、動きの学習は自動的に行われます。
歯を食いしばり、どっしり踏ん張って力を出すパターンの動きを学習した選手は、競技中もそのような状態を作って力を出すことを覚えてしまいます。どっしり安定が重要な相撲や柔道であれば問題ありませんが、飛び回るような動きの中で力を発揮することが要求されるサッカーなどでは、この学習そのものが不利に働くのです。
いくら強化してもパフォーマンスが改善しない、「努力と成果のギャップが大きい」ケースの多くが、この構図に当てはまります。
指導側はもちろん、選手自身も、トレーニングの種目や量を考える以前に学習と強化は同時に行われるという前提をしっかりと持っておく必要があることを、常に忘れないようにしてください。
本書では、パフォーマンスを高めるために日々行っているトレーニングにおける「努力と成果の間に起こるギャップ」を最小化することを目的としています。そのために必要な、トレーニングに入る前に知っておくべきこと、フィールドに立つ前に知っておくべきことを解説します。
あなたにとって最良のトレーニングを行うために絶対に必要な「考え方」、そしてあらゆるトレーニングの基礎作りに役立つ身体操作トレーニングをご紹介します。
以上です。
ありがとうございました。
全てはパフォーマンスアップのために。