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みんなたべもの

画像は友人から「めちゃくちゃズボラに作れるよ」と教わったカオマンガイもどきを更にズボラに作った昼ごはん。我々はこれを「マンガイモドキ」と呼んだ。どこかの国の絶滅危惧種みたいだ。
インスタでもツイッターでもSNSで自身の食事アップする事はそうそうない方だ。見るのも正直なとこそれほど好きではない。

って言ってしまえば終了なんだけど、実際はたとえば星の形のクッキーだとか喫茶店の温かいナポリタンだとかパリっと皮目焼けたジャークチキンが、どんなお店でつくられて、どんな店主切り盛りしていて、どこで食べると美味しいか...なんてことが書かれてあると、ムムムっと寄っていってホホウと住所に線引いてヨシヨシとスクショ撮ったりなんてしてしまう。

好きなのは、人間っぽさというか成り立ちとかが見えたとき。そんでそれがプロであれば尚更。なんて曖昧な。でもその曖昧な「それら」を覆っている説明文みたいなとこが引っかかるとずっと忘れない。

なんだっけ。

ええと、SNSに料理の写真を載せてる人がグッと、グググッと増えたなってことだ。
リアル友人も、フォローしてるだけの人もかなり。体感で6割増えたんじゃないかな?それだけみんな自宅おこもり生活で自炊しているよってことなのかな。
改めて。私は、料理の写真を見るのが好きってわけではないのだ。そこそこ上手でも食事、料理、プロのレシピを知りたいのでなければ好んでみるタイプではないのだ。
けれど、そんな私ですら好きな友達と「今日何作った」と写真を見せ合ったりしている現状。
どうしたことだろう!
楽しさのためではなく『私たち生きているよね日常を愛しているよね今日の一歩も覚えていようね元気でいようねたくさん食べようね』というアヤトリを繋げていってるかのようだ。

みんなたべものなんだ。
愛してやまない音楽も、常備しておくと助かる調味料も、すやすや眠る子供の寝息も、みんな今日のために作られたものではないけれど、やりたい事も行きたい場所も一回立ち止まってからじゃないと成らない今の世界の、曖昧な私たちのための、たべもの。

今までと同じにはもう戻れないだろう、という空気をこれから言葉や身体にしていくための、たべもの。

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