見出し画像

「るいあばにひと」を終えて。


どうもこんにちは。

12/19に開催されました鷹野家家族公演「るいあばにひと vol.1」が無事終わり、当日撮影した写真の整理、編集が終わって一息つけましたので感想と言いますか…リハや本番の写真なんかも織り交ぜながらつらつら書いていこうと思います。メインは私の考えの話になってますがご一読いただけましたら幸いです。


画像1

会場入り。よく晴れた朝でした。


画像2

演者や裏方さんと直前まで綿密に打ち合わせ。


画像3

画像4


本番でもちょろっとMCやる機会がありまして話させていただきました。


写真も音楽も、もちろん彫刻、絵画なんかもそうですがその作品が作者の生き様の結晶であると考えております。


ベートーヴェンやラフマニノフ、ミケランジェロやクロード・モネ、デ・キリコや東山魁夷等々、時代を問わず世界に名を馳せる芸術家達は各々の生き様で今も多くの人間達の心を動かしていますね。


縄文、弥生時代の土偶や古代エジプトの壁画、ナスカの地上絵、マチュピチュの遺跡等々、作った人の名前が知られて無いだけで、他の芸術家たちも作品すなわち、生き様で他の人間の心を動かしてきました。

画像6

他の生き物には無い「美しいものを美しいと認識し、作り、残し、繋いでいける」という形質は人間が人間たる理由の一つだと思います。



他の人間の作品に感化され、自分の創作意欲が湧くなんてのはよくある話です。

これは「認識し、作る」ですね。


自身も以前は写真家になって、野生動物をはじめとした写真作品をたくさん、後世に残そうと考えておりました。

これは「残す」ですね。


今は・・・というか、今年入ってから本当に色々な事がありまして大きく心境が変化いたしました。

年度しょっぱなから世界が混沌に陥り、社会の在り方というものが大きく変化しましたね。今も多くの方の目に見えないご助力がある事に心から感謝申し上げます。


自身の表現や感性に限界を感じた訳では、断じて無いのですが、自分が作品を作り、残すよりも他の人間の「作る、残す」を後押ししたい気持ちの方が強くなってきました。

これは「繋ぐ」に入れても差し支えないでしょう。

画像6

次の世代に繋ぐためのその時代の芸術家の足がかりになりたい、と言った方がわかりやすいかも知れません。


写真、絵画、彫刻、陶芸・・・をメインに、色々な表現を出せる場所を作って多くの人々に観てもらえる、そんな場所を作ろうと思います。

もしかしたら音楽にも手を出すかも知れません。


兎角、作品を作った本人とその作品、そしてお越し頂いたお客様同士で、互いの生き様に多かれ少なかれ影響を及ぼし合って欲しい。


自分は表に立たずにその三つを紡ぐ。


その想像に強い快感を得ますし、何よりも近い将来、そうしている自分の姿が非常に明確にイメージできる訳です。


欲を言えば、私のギャラリーで展示してくれる未来の芸術家達が後世の「classic」や「standard」となれば尚嬉しいものですね。


そうでなくても各方面の作品は、確実に人の心に影響を与えます。

小さくても、その作品に出会ったということを無意識下に、死ぬまで観た人間の脳に覚えておいてもらいたいのです。


観た人間が何かを次の人間に繋いでいくとき…(それは子供への躾だったり、顧客へのサービスだったり、色ーーーんな些細な事まで含みます)…出会った作品が多かれ少なかれ必ず影響します。


大衆、大量、簡略化が進むこのご時世。

その実、内側では孤立、少数、複雑化も同時進行している矛盾した世の中で、芸術は自身の生き様と向き合い、自身の中で絶対的な価値と規範を持つ為に必要なものだと強く感じます。

だから「必要だ」と、何度もいう訳です。

別に私のこれが正しいとは思ってはいません。感じ方、受容の仕方は個人個人のものだと思います。


私は、私の形で次の世代に何を残すか、どうやって繋ぐか、そしてどうやって生きるかを、その命の続く限り、模索していきます。


画像7



長くなってしまいましたが。


公演は二回とも無事成功致しました。

何はともあれ、会場の絵空箱さん、音響、映像撮影、受付や案内をしてくださった裏方の皆様、このご時世の中、足を運んでくださいました多くのお客様、そして一緒に素晴らしい時間を作り上げてくれた家族の皆に心から感謝申し上げます。


本当にありがとうございました。


では、ご機嫌よう。まずは「メリークリスマス」ですね💫


お体ご自愛くださいませ。皆様にとって良い1日となりますように。

いいなと思ったら応援しよう!

Takano Akitoshi
お楽しみいただけましたら幸いです^^