ハポンさんとコリア・デル・リオ
スペイン南部アンダルシア地方。セビリア郊外のコリア・デル・リオという小さな田舎町。400年前に伊達政宗が遣わした支倉常長の遣欧使節団の子孫といわれる人たちが暮らしています。町には日本語の看板が溢れ、センダイという名前のカフェもあります。
支倉常長の一行がグアルキビル川をさかのぼって、この町からスペインに上陸しました。案内人の宣教師ソテロはセビリア貴族の人で、往路はセビリアで大歓待を受けました。
しかし日本を出国後すぐにキリスト教の禁教令が発布され、当初の目的を果たすことは困難に。それでもセビリア近郊に1年ほど滞在して機をうかがいました。結局、失意のうちに帰国することになるのですが、一行は洗礼を受けていたため日本に帰国すると迫害されるのが目に見えています。
支倉公は帰国しますが、少なくとも8人の家来はスペインに残ったといわれています。いまから30年ほど前、「ハポン(Japón、スペイン語でジャパンの意味)」という名字を持っていることに疑問を抱いたコリア・デル・リオ在住のカルバハル・ハポンさんがコリア・デル・リオ市内の教会の洗礼台帳を調べ、一行が滞在した後に「ハポン」という名字の人が初めて現れたことを突き止めました。
その後、仙台市から支倉像が寄贈され、2012年には浩宮皇太子殿下も訪れて桜の木を植樹されています。支倉像のある公園は通称、ハセクラ公園と呼ばれ、伊達政宗公や支倉常長公のタイルが門柱に飾られています。
こんな人口数万人の街にも、おらが町のチームがあります。コリアCFというスペイン4部リーグです。スタジアムには、いつでも日本の国旗が。市庁舎にも、いつも日本の国旗が掲揚されています。
後援会が主催する最初のプロジェクトとして、東日本大震災被災地、宮城県女川町のサッカークラブチームであるコバルトーレ女川ジュニアユースの選手23名を2019年3月末から10日間「平成最後のハポン・ハセクラ使節団」としてスペインに派遣しました。東日本大震災で町の住民の約一割の命が失われ9割の住民が家を失うという壊滅的な被害にあった町ですが、後援会では、8年前のかわいそうな震災の被災者としてではなく、400年前のサムライの子孫として派遣しました。ラ・リーガ様にもご協力いただき、ベティスを訪問。当時ベティス所属だった山根恵里奈選手も(本当に)温かくお迎えしいただきました。
セビリアの「レアル・ベティスU15」、コリア市の「コリアCF U15」および「コバルトーレ女川U15」の3チームによって競われた「第1回ハセクラ・カップ」は、大変素晴らしい大会となりました。ぜひこちらをお読みください。
現地では、コリアCFの選手およびハポンさんのお宅にホームステイし、400年という時を超えた「絆」を共有し支倉常長たちの偉業を肌で体験することができました。正に平成最後の使節団として立派にその使命を果たして帰国しました。セビリア市・コリア市と仙台市・石巻市・女川町、ひいてはスペインと日本の国際親善に大きく貢献してくれました。
一方、昨年夏には20人を超えるハポンさん達が令和最初の使節としてコリア市から来日しました。後援会は一行を宮城県に招待し、仙台、石巻・女川、大郷町、川崎町など支倉所縁の土地を案内し、ハポンさんとそれぞれの土地の人たちとの絆をより一層深めることに貢献できました。特に、「是非仙台で結婚式を挙げたい」という一人のハポンさんの強い要望に応え、“杜の都の迎賓館”として格式を誇る伊達藩所縁の仙台勝山館にて挙式を執り行い全国的にメディアでも注目されることとなりました。
現在、後援会では第2回ハセクラカップの準備をしています。2022年夏、女川に新設されるスタジアムにて、今度はベティスとCFコリア・デル・リオだけでなくイタリアのチビタベッキアからもチームを招聘し、ベガルタ仙台、コバルトーレ女川の5チームで、より規模を大きくして行う予定です。これからも仙台を軸に、スペインやイタリアと結んで伊達政宗公の偉業を若い世代に伝えていく活動をいたします。